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森のなかで (2007)

作家の言葉 | 栗田宏一

ー「ソイル・ライブラリー/和歌山」についてお話をお聞かせ下さい。

今回は展示室を飛び出して、この空間を選びました。というのは、色を見るのにはやっぱり自然光のほうがいいので。いろんな色の粉の入った瓶が並んでますけど、これは和歌山県全域、全市町村をまわって拾い集めた土です。和歌山県に住んでいる方の自分の町の土、生まれた町の土が必ずどこかにあるわけです。せっかく和歌山県でやるので、そういうシステムを作ろうというのが前提でした。合併前の50市町村すべてをまわりました。平成の合併にはどうしても共感できないものですから合併前の区分けにこだわっています。実際にはこの展覧会のオファーを頂いた時点で既に全部の市町村をまわっていたので、どこにどんな土があるのかは頭の中に入っていました。だから、ある程度どんな色合いがそろうかはイメージできていました。
展示は、色がグラデーションになるように並べています。「どうやって色をつけるの?」とも聞かれるのですが、色はつけていません。自然のままの色です。採集する場所も聞かれるんですが、特に選んでいません。というのは、土っていうのはどこで拾ってもとってもきれいなんですね。車でまわっているので、パターンとしては、車の停まりやすい所ですね。畑、田んぼ、崖どこでもいいんです。あとあんまり人目のない所がいいですね、やっぱり。土を拾っているのはなんかちょっとあやしいので(笑)。実際には和歌山県内を1000km以上走りました。
和歌山県には日本列島の背骨ともいわれる中央構造線が走っていて、特に南部は岩っぽくて、実際には一握りの土の中には石がかなり入ってきます。ふるいをかけてその石を取り除いてあげないと微妙な色が出てこないんです。それと、濡れている時は反射率の関係なのか、みんな同じような色に見えちゃう。乾かしてあげるとはじめてぐっと色が出てくるんです。一つだけずっと見ていると、実はどうってことないただの土です。だけど並べることによって、隣と比べることによって、一つ一つが輝き出す。これはとっても不思議なことで一つの田んぼや畑を見てても、色ってよく分からない。隣と比べることで色の違いが見えてきます。要するに、右手で握った土と左手で握った土も違うわけです。
ガラス瓶は108本並んでいます。というのはお分かりでしょうけど煩悩の数です。過去に36、現在に36、未来に36の煩悩があって全部で108つになるらしいですね。今回は一列に並んでますけど、実は端と端をうまく繋げば円形に展示することもできるような作品なわけです。要するに一種の念珠、数珠ですね。

ー何回も聞かれていると思いますが、何故、土なのでしょうか。

話すと1時間かかるかもしれない。いやもっとかも。ある日突然思いついたわけじゃなくて、とってもいろんなことが絡み合って、いろいろ模索した末になんでもない土にたどり着きました。何をやっていいのかわからない20代、30代、いろんなことをやってみました。インドやアフリカなんかをへとへとになるまで旅してもわからない。ただ、当たり前ですけど、やっぱり自然界の凄さには打ちのめされますよね。その自然界の凄さっていうのは誰にも否定できない。では自然界そのものを一握りして、その凄さをさらりと提示できるような表現はないものかってずっと考えていたんです。じゃあ自然界とは何かというと、要するに地、水、火、風の4つなんですね。大地、水、火は地熱や太陽熱も含めてだと思うんですけど、それと空気。それらが一握りできるものはなにか、と考えてみたところ、土だったんですね。ありがたいことに土っていうのは無機物だけではなく我々人間のかけらとか、葉っぱとか虫のかけらとか、そういう有機物も混じっている混合体なんです。だから地球の歴史とともに我々の歴史も混合している。すなわち私たちが自然界の一部であるということをとってもわかりやすい形で示してくれているなって思ったんです。
実際に土を自分の手で握って、いろんな場所の土と比べてみた時に、色合いのバリエーションや、時間の深さとか、この凄さに気が付いていなかった自分自身に非常にがっかりしたんですね。自分の足もとすらしっかり見ていなかったことに本当にがっかりしたわけです。それでとにかく、まずは足もとを見つめ直すことから始めたわけです。
土の色にこんなにバラエティがあったとは意外とみんなも知らなかったことで、展覧会ではやっぱりほとんどの人が、びっくりしています。日本でもフランスでも老若男女関係なく。逆にいうと、こんなことをする人が今までいなかったということでしょうけど。土を乾かしたりふるいにかけるなんてことも、やっぱりよほどのことじゃないとやらないですよね。ここまでかなり作為的なことをやって、はじめて微妙な色が出てくるんです。そこまでやって比べてみないとわからない。人間もそうで、あるグループになったり、仲間たちが集まって、はじめてその人が光ったり、それぞれのキャラクターの面白さが出てきたりすることってあるじゃないですか。そういうのとやっぱり近いかなと思いますね。比べることによって見えてくる。

ー土そのものの美しさといっても、土に何か人の手が入ることによって、気づかされる部分、見えてくる部分というのがあるんですね。

そうですね。ただ、この仕事は何か特別な技術を持っていないとできないというわけではなくて、言ってみれば誰でもできることなんです。子どもでも。僕と同じように土を拾ってきて乾燥させて、ふるいにかけて瓶に入れたら同じものができる。ということは逆に凄いことだなとも思います。もちろん、どの土を選ぶかはみんな違いますけど。そういう意味でも普遍的なところや無名性的なところがあって、だから幅広くみんながおもしろがって、引き込まれる。好き嫌いという以前にね。

ー土という物質の強さですね。

この作品を見て「嫌い!」っていう人はあまりいないんですよ。「なんやこれ!」と叫ぶ人はいますけど(笑)。土というのはあまりきれいなものというイメージはないけれど、こうして見せると「汚い!」っていう人もいない。それは自然界の凄さを無意識に受け入れているわけです。無条件降伏。否定はできない。こうなってくると僕は単にトランスレーターとして美しいものを運んでくるという役割だけでいいんじゃないかとも思えてきますね。

ーええ。

シンプルに提示すればする程、見る人はいろんなふうに感じられる。今回は和歌山県民の足もとをすくって歩いたみたいで怒られちゃいますね。でも、逆に言えば足もとをすくわれないように、みんなちゃんと自分の足もとくらいしっかり見ようねってことなんですね。

ー地に足をつけて。

ええ。地に足をつけているにもかかわらず、意識していないっていうことですね。意識してものを見るってこと。あんまり意識しすぎると前へ進めないですけどね、面白くて。ありとあらゆる自然現象は面白いですから。

ー栗田さんの仕事は、森のなかで無数の隠花植物や粘菌などと戯れながら独自の思想を作り出していった南方熊楠にも通じるところがありますね。

熊楠はやっぱり以前から気にしている人です。僕は美術家としてよりも、フィールドワーカーとしてスタートしたという部分が強いんです。だから影響を受けた作家と言われると、あんまり美術家の名前が出てこなくて、むしろ百科事典的な仕事をしている人、白川静とか中谷宇吉郎とか、ひとりで追いかけるのにはあまりにも対象が大きくて限界があるけれど、ひとりの目を通ったことで初めて見えてくる世界。どちらかというとそういう仕事に惹かれるタイプなので、熊楠の仕事も非常に気にしていました。日本の古層が非常によく残っている土地という意味でも紀伊半島には頻繁に通っています。森に関して言うと、実際の森というよりも、我々の内部にある森みたいなものを忘れかけているわけで。たぶんそのへんが熊楠の世界と繋がってくるのかなと思うんですけど。実際に森からここへこうして持ってきましたよっていうだけではなく、自分の中の森を発見しようということですね。

ー和歌山以外でも、全国各地の土を集められてますね。

この仕事の最終目標のひとつは、日本全国全市町村3233の土を、もちろん合併前の数ですが、全部集めて一同に並べたいということです。常時見られる施設が作りたい。ソイルライブラリーと自分では言っています。そうすると見に来てくれた人の産土が必ずあることになります。自分の生まれた町の土がある。そこが入口になって何かを考えるきっかけになるはず。「わあ、きれい!」っていう入口から、それぞれの人が何を考えてくれるかは一人一人がみんな違う。全部で3233のうち、今日現在で3058まで終わっています。あと175。ここまで15年ほどかかっています。残っているのは都会の真ん中、とんでもない山奥、あとは小舟に揺られて行く離島。南大東島とかね。ここから先は時間もお金もかかる大変なところばかりなので、このペースだとあと10年ぐらいかかるかな。

ーもう少し栗田さんの目指されているところについて教えてください。

先入観を壊す、既成概念を転換させるっていうのは、やっぱりアーティストの仕事でもあるし、アートの力でもあると思います。なにげなく自分たちが見過ごしているもの、気にしていないものから何か見つけられないかというのがこの仕事のねらいです。もうちょっとつけ加えると、結局全部違うということの面白さですね。土が一握り一握り、全部違うことの面白さ。それを見ている人、ひとりひとりもみんな違うという面白さ。汚い土はないんです。だから見ている人もみんなそれぞれ尊い命を持っていて美しいんですね。そのことにそれぞれが気がついて、隣の人との違いを認め合って、面白がって、生きていけたらなあと。そのきっかけになってもらえれば、これはとってもいい仕事じゃないかと。土の美しさを見せようというのはあくまでも入口であって、そこから先は見る方の自由。隣同士にどんな色が来ても似合うよ、人間もどんな人ともなんとか仲良くやっていけるよ、パレスチナの土とイスラエルの土を隣同士に並べても喧嘩しないよ、、、この世界は非常に多様で面白いですよね。

2007年10月20日 和歌山県立近代美術館にて
聞き手:奥村



ー「土の時間/和歌山」についておたずねします。土の時間というのは?

それぞれの生き物や物質にはそれぞれの時間があって、人間にも人間の時間があるけど、土にも土の時間というのがある気がして。ずいぶん波長がゆっくりなようですけど。

ーシャーレに入っている水が乾燥して、土にひびが入って変化していく時間がまずひとつあって。

そのことも一つの時間ですね。もちろんこの土が地球創世からここまできた時間。この瞬間に土が生きているという時間。それに今度はそれを見ている人の時間が入ってきます。そのあたりが美術鑑賞のおもしろさでもありますね。自分が作品の時間に関わっていける。

ーじっとこの作品を見ていると自分たちの時間のことも考えますよね。あとやっぱりリズムとか。

僕の表現の始まりはパフォーマンスです。とにかく森の中にただ立っているということをしていた時期があります。その時、自分の鼓動というリズムと、森の中のリズム、木のリズムとが共振する瞬間があるんじゃないかと思ったんですね。もちろん森や木の流れと、僕らの流れは違うんですけど、どこかで合う瞬間がある。その頃からずっと時間に関する思いというのが続いています。でも、たぶん木よりも土のほうが時間は長いんですよね。石の時間ともまた違って。土の時間の場合は集合体なんです。一粒一粒によって違う時間を持っている。一握りしても全部が同じ時間を持っているわけじゃない。一粒ずつ違う。だから途方もない大きな社会になるわけですよ。一人一人みんなの時間の持ち方が違うように、土の一握りの中も全部違う。結構、複雑なものだなと。複雑なものだからこそシンプルに見せた方がいいんですね。こそこそっとなんかやってポンと置いただけじゃないかと言われたり、ほんとに土しか展示してないのであっけにとられたとか書かれたり(笑)。人の反応は面白いですよね。その人の持ってきた時間があまりに短いと、土と呼応する時間がなくて「なんだ土しかない。」って言って帰っちゃうんですね。

ー「ソイル・ライブラリー/和歌山」は、時間の感覚が少し違いますね。

あれはもう時間を封印しちゃっているわけです。封印すると、もうそれでピタッと時間が止まっちゃう。そのぶん、今度は色とか、質感とか、地名だとかが見えてきて、イマジネーションが刺激される。標本的な出し方をしているので、ちょっと博物館寄りともいえるかな。かといって博物館で扱えるほどの専門知識でまとめているかというと、そうでもなくて。だからちょうどそのはざま。美術館と博物館の深い溝を埋めるための仕事がもっと出てきていいと思っているんです。だからあえてミュージアムという言葉を使わずにライブラリーと言っている。両者をつなぐキーワード。どっちにも相手にされないけれど、どっちからも相手にされるという、そのへんが凄く大事なんじゃないかな。熊楠の仕事を再考する意味でもね。あえて博物学的な形にした作品を、なかへち美術館のとても美術館的な空間に展示できたのも、してやったり、という気分ですね。熊楠が生きてたら、ひっくり返っておもしろがってくれると思いますよ。

2007年7月27日 田辺市立美術館にて
聞き手:奥村


「森のなかで」(和歌山県立近代美術館)カタログより 2007
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