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土は美しい (2000)

栗田宏一

 みるみるうちに山や丘が切り崩され、踏みにじられてゆく現場を目にするにつけ、親しい友人が惨殺されているような、背筋の凍る悲しみに襲われる。重機のオペレーターは「食っていくためには仕方がない」と言い、業者は「許可は得ている」と言い、地主は「俺の土地だ」と言い、役人は「民意だ」とも言う。どこからマヒしてしまったのだろうか。一握りの土に生命を見いだすことは、その生命リズムがあまりに長大なだけに難しいことかもしれない。でも、生きている、と私は思う。
 もちろん、縄文時代にだって、かなり大規模な土木工事が行われ、大量の土砂が動かされている。だが、数日のうちに原形をとどめぬほどに変貌する現代の作業風景とは、なにかその印象が違う。お祈りをしてから首を切り、まずは神様に捧げてから人間に下りてくる豚さんのお肉と、ブラックボックスの中で解体処理された豚肉とでは、なにかその味わいが違うのと同じようなことだろうか。どうも、人の心のありどころが問題であるようだ。
 左手で握った土と右手で握った土、隣の畑の土、ひとつ谷を越えた向こうの丘の土、川向こうの土、、、、と、なんとはなしに手にする土の色合いを比べて、その色の違いに驚いているうちに、足は日本列島の各地へと進み、気づいたら、この数年で七千種類もの土が一握りずつ手元に集まっている。これまで、アジア、中南米、アフリカなど、あちこちを旅して土を見てきたものの、どうやら日本の土が一番、多様であるようだ。列島の成り立ちが複雑で、火山があり、温泉がある。四季があり、植生もさまざまだ。七千種類の土を並べてみても、決して同じ色がないことは、当然といえば当然かもしれないけれど、凄いことだ。そして、そのどれもが美しい。美しさの基準は人によってさまざまだ。しかし、これを美しくないと感じる人はいないと思う。重機のオペレーター、開発業の社長さん、地主さん、お役人、そして、あなたにも、土の美しさに感動してもらいたい。自然の神秘というのは、山や海に行かなくても、今の自分が立っている足元にもあるんだ、と思い出してもらいたい。そのことによって、自分自身が自然の一部であると再確認することはたやすいと思うし、他者を傷つけることは、自分自身を傷つけていることに他ならないと気づくのにも、そう時間はかからないはずだ。
 誰もがいずれ土に還る。これはとっても有難い事実で、ゴミとして残らない。その土の化身である人間が、たかだか数十年の地上での滞在中に、自分の都合のいいように山を動かし、ゴミを作っている。縄文時代の人々は自然に対して強い畏敬の念を持っていたはずで、だからこそ破壊にならずに共生していけたのではないだろうか。今の私たちが、いきなり、自然と共生しようなどと旗をあげたところで、あちら側から蹴飛ばされてしまうくらいのことだろうが、せめて、自分の心のありどころを探るくらいのことはしたい。あるがままの自分を見つめ直して、維持したい。その手がかりは百人百様だろうけど、土の視点からものを見てゆくという方法は、けっこう有効な手段ではないかと思う。
 今のこの時代に、美術というひとつの手法でこんなことを言っていこうとする場合、現代社会を痛烈に批判するような衝撃的な作品を展開していった方が、受け入れられやすいだろうし影響力もあると思う。でも、そんなショック療法も有効だろうとは思いつつ、なんとなく、自分も飲み込まれてしまいそうで、近づけない。地味ではあるけれど、「土は美しい」とささやくだけの寡黙な抵抗を続けていきたい。むしろ、それの方が人の意識の最深部をちくちくと刺激することができるのではないか。そして、結果的には、そのちくちくが平和の種子の発芽を促すことになるのではないか、とどこかで確信している。


「風の計画」Vol.10(ふくろうの会ー湯布院)より 2000
by soil_library | 2006-08-02 00:00 | TEXT
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