Koichi Kurita Web Site栗田宏一
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いのちの土 (2013) 1/3

「いのちの土」  栗田宏一


「『世界の多様性』をテーマに、足もとの土のありのままの美しさ、尊さをアートを通して伝えていく。」と言い出してから20年あまり。アトリエ周辺に散らばっていた言葉を拾い集めてみることにしました。そうは言っても、記録し始めた今でもあまり気乗りしていないのは確かです。作家が言葉を発することは自分のアートの領域を狭めることになりかねません。作品に接する方々のイメージの翼をもぎ取ってしまうのではないかと気がかりでもあります。しかし、制作にまつわる諸々の思いや考えを頭の中に溜めておくことは、作品を倉庫の中にしまい込んでいるのと同じかもしれません。ここでは、アートが作家を離れて社会のものになっていくきっかけになることを期待して前向きに考えることにしましょう。
子供の頃から文章は苦手で、推敲すればするほど固まったキャラメルをつないでいくような惨めな結果になります。ここでは、ある架空の聞き手を想定して、その人に思いを伝えるために「書く」のではなく「話して」いこうと思います。


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この地球上のあちこちでは同時にさまざまなことが起こり、それぞれが複雑に絡み合って歴史が紡ぎ出されていきます。この壮大な世界の歴史を学ぼうとする時、私たちはあまりの複雑さに唖然として投げ出してしまいたくなります。平面的な年表に表すには限界があります。かといってすべてを立体的に学ぶには一生あっても足りません。図書館の本を読み尽くすこともできません。ひとりの人間の歴史もそれと同じで、人との出会い、脳のなかで同時に考えているさまざまなこと、経験、すべてが複雑に絡み合いながら進行していきます。とても語り尽くせるものではありません。
しかし、アートという表現はそれらを一瞬のうちに伝えてくれる手段でもあります。一目見ただけで、一瞬その場に立っただけで、地球創世記からの時間を感じられる可能性だってあります。しかも、言葉による説明が必要ない場合が多いので国籍、老若男女も問いません。もちろん、見る人それぞれによって感じ方が違います。それは私たち人類にとって誇るべき特質で、それぞれのやり方で世界と接することができるとも言えます。アートをきっかけにして個人のDNAが宇宙の時間と交差するのです。


誰にでも父と母がいます。一世代前には祖父と祖母。すなわち2人の祖父と2人の祖母がいます。そのまたひと世代前には、と計算していくと、10世代前には1000人以上の祖父と祖母がいたことになります。もちろん、だからといって5000年前に数億人の祖父と祖母がいたわけではありません。これはひとつのトリックのようなもので、私にはうまく説明することができません。ここで何を言いたいかというと、その中のひとりでも欠けていたらいまの自分は存在しないという事実です。途方もない血の連なりが自分の中に生きています。一人一人の存在には理由があるのです。
5000年前を振り返ることによって、5000年後の世界が見えてきます。その中間地点に立っている自分はほんの些細な存在ですが、5000年後にとっては必要な存在です。もちろん自分の血をそのまま未来につなぐという意味もありますが、たとえそれができなくとも自分の思いの種子を人々の心の中に蒔くことでつながっていきます。子供たちを育む環境をサポートすることでも可能です。できることなら5000年間つないできたものをここで破壊してしまうのではなく、できるだけいい形で未来に伝えていくことがいまの自分たちが意識してやるべき仕事です。アートはそのために役立つことができます。


では、ここで言うアートとは何なのか。いきなり本論に入ってしまいそうな勢いですが、ある程度の定義は必要でしょう。もちろん人によって考えが違って当然ですし、反論も多いでしょう。
かつては絵画や彫刻がイコール、アートであると言われていたように思います。しかし、本当にそうでしょうか。確かにアートに至っているといっていい絵画や彫刻も数多くありますが、中には単なる物体もしくは死体にしか見えないものもあります。アートと言われるからには、作品が社会の中で呼吸していることがもっとも重要なことであると私は考えます。作者がそのことを意識して制作したか否かを見落としてはなりません。作品はそれを見る人の目を通過して初めてアートとなります。作者がこの世を去ってからも作品が呼吸していること、これは容易なことではありません。
これだけ多種多様な表現が現れている現代だからこそ、作家には強い覚悟が必要です。どんなに思考し苦労して制作したとしても、それが単なる物体でしかないとしたら哀れな話です。自己を表現する意識を思い切って脱ぎ捨てる必要があるのです。自分はあくまでも手や足を貸しているにすぎないと素直に思えるようになって、ようやくアートが生まれ出る環境が整うように思います。あれこれ理屈をこねて説明するのではなく、ありのままを提示する勇気。
ここでは作品を見た人の心の奥深くに何かが注がれるその瞬間のことを「アート」と呼んでみましょう。


日本という島に日本人として生まれ、育ってきました。しかし、日本人という定義のなんと曖昧なことでしょう。確かに日本語という誇らしい言葉をしゃべり、四季折々の美しさの中で生きています。アニミズム、神道、仏教の入り交じった宗教観に包まれ、知らず知らずのうちに自然界に対する畏敬の念が育まれています。ひとくくりにできないほどいろんな顔があり、文化があります。2000キロにもおよぶ列島にはきれいなグラデーションを成して文化の移ろいが見られます。その面白さを「風土」という言葉が一言で表しています。その土地に生きる人々が、日々さらされている「風」や、日々踏みしめている「土」に影響を受けないはずがありません。
もちろん、同じ風に吹かれ、同じ土を踏んでいたならば、みんな同じ考え方になったりするかというとそんなわけはありません。その相違はおそらくそれぞれの血の微妙な相違から来ているのではないでしょうか。例えば、私は山梨県に生まれましたが、4人の祖父母の由来を探っただけで一筋縄で語れないことがわかります。父方祖父は宮古島の出身で明らかに南島の血筋です。外来船の寄港地であったことからポルトガルやアラブの血が混じっている可能性があります。父方祖母は由来が不明です。しかし、その顔立ちからすると半島系の血が強いのではないかと想像できます。母方祖父は基本的には数千年来の縄文人の末裔なのですが、中世の時代に乱入してきた武士の生臭さも兼ね備えています。母方祖母も顔立ちだけ見ると縄文系ですが、家筋を追っていくと大陸系となりそうです。日本人の複雑さが私の中に凝縮しています。


「風土」という言葉が出ましたが、その響きからは自然界の只中に立ちすくむ人間の姿が浮かび上がります。人間の存在感ががっちり組み込まれた言葉です。自分たち人間が自然界の一員であるという事実はちょっと考えればわかることですが、金銭を中心に動いている社会の中に埋もれていると忘れてしまいがちです。我を振り返ろうとする時にアートはいいきっかけを与えてくれます。それはアートが非日常の姿をとっているからでもあるでしょう。
では、どうして自然界の一員と認識することが必要なのか。アートの力を借りてまで。胸に手を当ててみればわかることですが、人間はあまりに自然界から離れ、傲慢になってしまっています。あたかも自然界を征服できるかのような錯覚にとらえられています。原子力発電所を制御できなくなった時の慌てぶりを見ればわかることです。もう少し謙虚になるべきなのです。「自分が自然界の一員である」と認識することは悪循環から抜け出すいいきっかけになってくれます。自然界を傷つけることは自分自身を傷つけることと同じです。私たちは決して離れられない仲なのです。どちらかを征服したり、おとしめたりする仲ではないのです。「自然との共存」という時の「自然」には自分も入っていなければいけないわけです。「風土」という言葉がそれを的確に表し、「アート」は目覚めのきっかけを作ってくれます。


自然界との一体感。その感じ方は人それぞれですがいくつかわかりやすい方法があります。その経験をもとにイメージトレーニングする事もできます。とにかく自分の肉体を消去して透明人間になってしまうのです。そうする事によって草原に吹く風が自分の中を吹き抜けていきます。自分の中を川が流れていきます。無重力状態で大地に横たわれるのです。満天の星空の中を自分の目玉だけがさまよっているような感覚。森の中、海の中も自由自在です。
この感覚を具体的にわかりやすい形で表すのがアーティストの仕事であり、腕の見せ所です。たとえある人物の肖像画であったとしても、その人物を自然界の一員ととらえ、敬っているならばその感覚が画面に表れます。逆にどんなにハイテクなメディアを用いてみたところで作家の自己をぶつけるだけの作品だったら見る人の感情移入する隙間はありません。作家の死後も呼吸を続けている作品とはその作家の自然感によるのだと思います。人の数だけ表現方法、手段が異なり、それを受け取る側も人の数だけ感じ方が違う。表現上の基本姿勢さえしっかりしていれば何をどう表現してもかまいません。もちろん、どう受け取ってもかまいません。アートはなんて自由なんでしょう。


現代アートはとってもわかりにくい。ほんと、同感です。もともと、アートをわかる、すなわち理解する必要などなく、ただ感じ、自分の中に落とし込めばいいのだけれど、中にはどう感じていいのかすらわからないものもあります。これほど多様で不可解なアートが生れ出てくるという事は、私たちが生きる現代がそれだけややこしくなっている証です。アートは時代を映し出す鏡だからです。
人間が自然界の一員であるという言い方をするならば、本来は手つかずの森の中で深呼吸しているだけで十分に幸せで、それ以上何かを見たり考えたりする必要はないはずです。しかし、この数千年の歴史の中で背負ってしまったもの、失ってしまったものは大きく、人間自身もややこしくなってしまいました。もちろん、そのややこしさから優れた文化が生まれたのも事実です。森の中で深呼吸している自分、お寺の庭の、作られた自然の中でほっとしている自分、その両方ともが私たちの姿です。アートが手助けできるのはその後者。まったくの自然だけでは癒されないものが私たちの中にあるのです。


表現をしていく上でオリジナリティーは非常に重要です。他の誰もやっていないこと、誰にも真似のできないこと。しかし、それを探し出すのは簡単ではありません。もしかしたら美術の歴史を勉強すればするほど身動きできなくなってしまうかもしれません。それほどに、ありとあらゆる手法、手段は尽くされています。しかし、次々と新しいアーティストが現れて、思いがけない表現を見せてくれるのも事実です。
簡単に言ってしまえば、自分自身をとらえることができ、そのまま引っ張り出すことができるならば、それは誰にも真似のできない表現となっているはずです。もちろん、自分自身になることがもっとも難しく、どんな宗教においても最終の目標地点です。では、どうすれば自分自身をとらえることができるのか。逆説的な言い方になりますが、おそらくは余分なものを捨て去ることが唯一の方法だと思います。どこで拾ってしまったかわからない先入観、凝り固まった固定概念、それらを捨て去り身軽になることです。簡単なことではありませんが、方法はいくらでもあります。まず、旅をすることです。知らない土地を歩いて何かを見たり、聞いたりすることは、間違った認識を改め、捨て去ることでもあります。何かを得るための旅ではなく、何かを捨てるための旅。そして、本を読む事。知識を得るためではなく、固定概念を溶解させるための読書。脳みそのダイエットが自分自身をとらえるきっかけになります。


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by soil_library | 2006-08-02 00:52 | TEXT

いのちの土 (2013) 2/3

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ここからは少し私自身のことを話してみましょう。旅という言葉が出たので、まずはそのあたりから。自分からの意識的な旅の始まりは中学2年生の夏。鹿児島に住む知り合いを訪ねての家族旅行の帰路のことです。ひとりだけ現地に残してもらい、鈍行列車を乗り継いで山梨県まで旅をしました。およそ50時間ほどかかったと記憶しています。わざわざ鈍行列車を選んだのは鉄道好きだったからですが、結果的には正解でした。鹿児島から宮崎、大分にかけての風景、列車の中での出会いは忘れることができません。世間知らずの少年がひとりで乗っているものだからいろんな人が声をかけてくれます。しかし、その言葉が理解できないのです。同じ日本の中なのに。これは衝撃でした。それまで自分が住んでいた世界の小ささを思い知らされました。
日本を飛び出したのは24歳の冬。いまも一緒に旅をし、生活をともにしている人と二人の旅でした。行き先はインド。どうしてインドだったのか。未だにしっかりした答えは見つかっていませんが、挫折感の連なりに後押しされた、とでもいいましょうか。それでも若者らしくはつらつと旅立ったのですが、デリー空港に到着した途端にへたり込んでしまいました。夜中に着いたのもいけなかったのですが、到着ロビーのガラスの向こう側には無数のインド人が待ち構えていました。まるで顔だけでできている壁のようです。そのまなざしはまるで私の心の底まで見透かすほど鋭いのです。このガラスの向こうへ出て行く勇気が自分には用意されていませんでした。日の出まで待ち、気合いを入れて、でも半ばあきらめて一歩を踏み出しました。


インドの旅ですっかり世界観が変わりました。いままで学んできたこと、経験、残念ながらあっという間に蒸発してしまいました。頼れるのは自分の肉体だけです。その肉体すら、ちょっと水分が足りなくなればただの干し肉になってしまいます。足元に転がっている小石や砂粒や牛の糞の存在感と自分の肉体の存在感はまったく同じで、もしかしたら自分はこの小石だったかもしれないと真剣に思えたものです。この時に感じたまわりを取り巻くものへの親近感といったらありません。
実はこのインドの旅には重い一眼レフのカメラを持っていきました。見渡す限りの平原に身を置いてぐるりと360度、地平線の写真を撮ろうと計画していたのです。ところが実際に身を置いてみると、笑い出してしまうほどに滑稽な行為なわけです。それで自分の存在を表現しようなどということは。結局のところインドでこのカメラを取り出したのはただ一度。地平線どころか、地べたです。自分の足がふらふらと平原を歩き、さまざまなものに出会う様子が36枚撮りフィルムにムービーのように残っています。
靴底に挟まった小石を集めたのもこの旅の時です。インドの安宿はたいてい床がコンクリートになっていて、靴底に小石が挟まっていると嫌な音がするんです。そこで一日の終わりに小石はずしをするのですが、今度はその小石が捨てられない。あまりに愛おしくて。少なくとも自分の歩みと重なって、何かの縁あって一日をともにしたわけです。糞ばかり踏んでしまってあまりに汚い日をのぞいて旅の間中採集を続けました。


旅先での一日は日本で過ごす一年分くらい凝縮されていると感じます。時間の流れ方が全然違うのです。それは、たとえ洗濯しかしなかった一日であっても、郵便局に一枚のはがきを出しにいっただけの一日であっても。新婚旅行を装って知人や親戚から集金してから出かけた旅は結局のところ500日を要しました。はじめから500日も旅することは想定していませんでした。しかし、旅の資金は限られていましたからなるべく節約して少しでも長く遠くへと心がけました。二人そろって貧乏性なのは幸いして、お金を使わないことが快感になっていきました。お金を使わない方が現地の人と近いところにいられるのです。例えば一泊1万円もするホテルに泊まっていて彼らの生活が見えるでしょうか。国にもよりますが、一日にひとりが使えるのはホテル代、食費、移動の費用も含めて1000円と自己制限をかけました。
日本からは船で上海へ。そこから列車でウイグル自治区に入り、タクラマカン砂漠、パミール高原をバスで旅してパキスタンへ。仏教が日本までやってきた道をさかのぼったわけですが、その土地まで一本の道でつながっていたことになぜか感動したものです。インドに入って半年間の滞在。北のラダックから南のタミルまで。いったん東南アジアに足を伸ばして日本に視線を向けたものの、西アジアへの思いは断ち切れずに、思い切ってトルコへ。イラン、エジプト、ギリシャとかなり欲張ったところで資金切れ。500日ぶりに帰った日本は本当に愛おしく、しかし溺れかけている子供のようにも見えたものです。旅の最中に考えていたこと、経験したことを何かしら社会に還元できないものかと真剣に思いました。


旅先ではいろんな国から来た旅人と出会います。お互いの国のことなど話しながら交流するわけですが、あまりに日本のことを知らない自分に愕然としてしまいました。語学力がないことを理由にごまかすこともしばしばでしたが、本当に知らないのです。次の旅のためにアルバイトをするかたわら、できるだけ時間を作って日本の旅も始めました。もともと民族学者になりたいと思ったこともあるくらいなので、風習、言葉、食べ物、家の作りなど細かなことまで旅先で見てきましたが、日本もそれに劣らず面白いのです。アジアのみならず、アフリカや中南米にまで足を伸ばすようになると、更に日本の面白さが際立ってきます。考古学的なことから現代の風習まで、とても交流があったとは思えない地域同士で同じようなことをやっているのです。人間の考えることにそう大差はないともいえますが、自然界を敬い畏れながら暮らしていると同じような祭りや呪いをやったりするのです。
日本各地を歩くにつれ、自分の生まれ育った地域にも独特の文化があることが再認識できました。衝撃的だったのは山梨県の特に北東部に多く残る丸石道祖神です。子供の頃から見慣れていたのでこんなものはどこにでもあるものだと思っていました。単なる丸い自然石を祀っただけのものですが、調べてみると数千年前から続いていて、いまはこの地域に限って残っているのだそうです。いまは道祖神、少し前は繭に見立てて養蚕の神様。それ以前は、おそらく月とか太陽の象徴だったのでしょう。ミケランジェロは大理石の中に女神の姿を見い出して「いますぐ彫り出してあげる」と言ったそうですが、私たちの文化では、石の中に神を見たのなら決して鑿を当てません。明治時代以降のものは人工的に丸く成形したり、「神」という文字を刻んでしまった石もあるですが、それらに神々しさはありません。心の通わぬただの物体です。かつて宝石研磨を学んだ時に感じた違和感はこれだったのです。あるがままの姿を尊び、そこに宇宙観を感じる文化。そんなところに生まれ育ったことを誇りに思える出会い。外側から見たからこそ見えた世界でした。


いろんな国を旅する途上で、滞在した街の足元の土をひとつまみだけ拾ってポストカードにセロテープで貼り、日本の自分宛に送り続けていました。地球儀で見てもわかるくらいの大移動を繰り返していれば、土の色が変わるのは当然です。ところが日本に帰って、改めて自分の家の庭、隣の畑、川の向こう、丘の上と拾って比べてみるとたいして離れていないのにすべて色が違うのです。極端な話、右手で握った土と左手で握った土は既に色が違うのです。しかも、驚くほどきれいです。自分が30年あまりも無意識に踏みつけてきたただの土がこんなに美しいなんて。まさしく足元をすくわれる思いでした。
私たちは幸せになるために生きているのだと思います。自分のためにも他者のためにも未来の子供たちのためにも今の自分に何ができるのか。才能があれば政治家になるのもひとつの手だし、経済力が伴えばもっと心強い、文章や話が上手ならば説得力もあるし、とあれこれ考えてみましたが急に何かができるようになるわけではありません。ちょうどその頃は美術の分野にも変化が起きていて、絵画や彫刻といった「もの」を見せるやり方から、生き方や考え方といった「こと」を見せるやり方が分離独立していく時期でした。美術大学を卒業したことが前提ではなく、オンリーワンを持っている人が立ち上がっていける分野に見えたのです。
アートを通して社会に意見していこうと思った時に私がとった方法は、拾った土をそのまま見せる、ということです。あえて造形表現からは距離を置きました。なんと唐突でぶっきらぼうなことでしょう。しかし、自分の驚きを素直にそのまま見せる、それが一番自分自身に嘘をつかなくていいことになります。展覧会そのものよりも人との出会いの方が重要だと考えていたこともあり、どこか確信犯的な見せ方でもありました。また、その美しさを知らずに長年踏みつけてきたことへのお詫びの気持ちもありました。


純粋に「美しい」と感じたことから始めた土拾いですが、以前からもやもやしていたコンセプトがぴたりとはまったのも事実です。手元に集まった色とりどりの土を前にして、「これだ!」と思った瞬間は、遠くの地平まで光がすっと差したような心地よさでした。
まだインドへ旅に出る以前の話ですが、毎月満月の頃に浜辺でパフォーマンスをしていたことがあります。慣れない都会の生活で身体を壊し、おまけに手術も失敗してしまい、左半身が一時期不自由になりました。このあたりで肉体表現に出会い、当時身近にいたアーティストにも刺激されて、自分の無様な肉体をさらすようになりました。パフォーマンスといってもほとんど動かずに立っているだけです。満月の頃は大潮で、引いた時と満ちた時とでは高さ2メートルくらい差があります。潮が引いて水鏡になった浜に立ち、潮が満ちてくるのをただ待つのです。徐々に足に水がつき、腰まで来て、胸まで水没します。この様子を見ることで、月の引力を感じる、というのがこのパフォーマンスのコンセプトでした。宇宙の複雑な動きがこうして目に見える形で日々展開しているのに、改めてじっくりと見ることはあまりありません。この宇宙の動きに人間も影響を受けないはずはないのです。こうして「人間は自然界の一員である」というテーマが身に付きました。
その後、リュックひとつで世界中を旅してまわり、へとへとになって帰ってきたところで「土」と出会ったのです。自分が自然界の一員であるということをわかりやすく教えてくれ、しかもぐっと握れるものが「土」だったわけです。


私が改めて語るまでもなく、ひと握りの土には地球上のすべての生命、物質、元素が含まれている可能性があります。それらをひと握りできるものを他に知りません。石や砂はいってみれば地球そのもののかけらです。土はそれらの粉の中に動物や植物やありとあらゆる有機物が混合しています。すなわち、自分たちのかけらも混じっているのです。土の色の違いは雨や風、太陽光の長年にわたる働きかけによるものです。あたりを取り巻く四大霊によって色が変わるのです。「土に還る」という言い方がある以上、大地との関係性は私たちにあらかじめ内包されています。しかし、土が無くては生きていくことはできないと頭ではわかっているはずなのに、ずっとないがしろにして、時には蔑んできました。いったん放射能が漏れ出せば、まるで土が犯罪者であるかのように取り除き始めます。そんな時にアーティストという人種はひねくれていて、人が見向きもせず、蔑み、邪魔にしているものを、頭を下げざるを得ない状況に持っていけないかと考えるのです。
実際に土を展示する際、参考になったのは以前から親しんでいる俳句の手法でした。17文字の中に季節感をベースにして、音も匂いも色も触感も空気感も感じさせる空間世界を作り出すのは驚異的です。定型だからこそ、更に世界観が際立ってくるのです。最小の定型の中に宇宙を作り出す。これは日本人が最も得意としていることかもしれません。相撲で負けることを「土がつく」。面目つぶしは「人の顔に泥を塗る」。こんなふうにいわれてきた土を、神前に捧げるかのように生成りの和紙の上にのせて奉る。すべて定型で並べることによってそれぞれの土の色やテクスチャー、風土や歴史までもが浮かび上がります。


土を100ほど拾い集めた頃、自分の足元すら見ていなかったことに愕然とし、こんなに美しいものがごく身近にあったことにただ驚いていました。土が1000くらいになった時には、これは奥が深そうだぞ、という期待感と、大変なことに手を付けてしまったな、という戸惑いが交錯していました。10000近くになった時には、もうひたすら頭を下げてひれ伏すしかありませんでした。自然界にはかなわないという思いとともに、この凄さを人に伝えていかなければいけないという使命感も湧いてきました。こんなばかばかしいことをいままでにやった人がいるとは思えません。もちろんこれから先も。
はじめの頃はただランダムに採集して「きれいだよ」と見せていたにすぎません。それが「風土」という言葉と結びついたとき、採集した地名を記録するようになりました。日本には「産土神」という言葉もあるくらい、生まれた土地の神様を尊ぶ信仰があります。誰でも自分の生まれた場所、住んでいる場所の土が展示されていたらうれしいものです。それがその人にとっての入り口となるのです。だとしたら、すべての人に対して入り口を作るべきではないか。これが日本全国全市町村での土採集プロジェクト「ソイル・ライブラリー」の始まりです。途中で平成大合併という改悪がありましたがそれは無視して、全部で3233市町村のうち、この20年間で9割9分までを採集しました。すべてを勢揃いさせて、すべての人に対しての入り口を用意してお待ちするのがこのプロジェクトの目標です。「ライブラリー」と呼んでいることもあって、あまりアートプロジェクトとは思われないのですが、むしろ、そのあたりも狙いです。本の森に迷い込んでそれぞれの人が一冊を手にする図書館。みんなが違う一冊に出会います。しかも敷居が低い。そんなあり方が理想です。一握りの土を紐解いていくと、地球の歴史から私たちの生活との関係性まで、ありとあらゆる入り口が広がります。ひと握りの土は一冊の本と同じだと感じているのです。


通常は美術館などでの展示は期間が限定されてしまいます。インスタレーションとも呼ばれるように、いったん設置してある期間展示をしたら撤収するしかありません。そんな作品の場合、人に見てもらって役目を終えたなら、土たちにはご苦労様と声をかけて、元の大地に戻すようにしていました。作品の種類によってはこれからもそうしていくでしょうが、いま生きている自分たちだけがその美しさを楽しんでいて果たしていいのだろうか、とあるとき思い始めました。未来の子供たちにも伝える責任があるのではないか。かつてこんな人がいて、こんなことをしていった、などと写真を見せられても本物の美しさは伝わりません。実物の力が必要です。
1970年、大阪で万国博覧会が開催されました。小学校2年生の時です。親に連れられて夢の世界を訪れました。初めて新幹線にも飛行機にも乗りました。しばらくして閉幕を迎え、名前を暗記するくらいに大好きだったパビリオンが次々と壊される光景がテレビに映りました。まだ作ったばかりなのに、壊す理由がわかりません。親に聞いてみると「残しておく方がお金がかかるから」という答え。これで一気に夢が覚めてしまいました。それからは何を見ても、きっと子供騙しだろうと疑ってかかるほどにひねくれてしまったのです。唯一の本物は、近所の畑で拾える縄文土器のかけらでした。子供ですから本当に時間の感覚があったのかどうかはわかりませんが、5000年前の土器のかけらが畑に落ちているという事実は衝撃でした。5000年間ここに落ちているということは5000年間誰も拾わなかったということです。要するに作り手使い手から数えて5000年ぶりに触った人の手が自分の手なのです。大人になったら、絶対に子供騙しだけはしたくないと強く思ったものです。


未来の子どもたちに本物を伝えるために、拾った土をビンに入れて少しずつ残すようになりました。一種のタイムカプセルです。もちろんいま生きている人たちへの提示も続けていきますが、徐々に仕事の重心を未来に向けて傾けていきたいと思っています。もちろん、いまの状態をなんとかしなければ未来はないわけですし、現代社会に絶望しているわけでもありません。もっとも、絶望寸前であると感じているのは多くの人と同じです。アートの持っている思いがけない力、それより何より、自然界が持っている驚異的な回復力と癒しの力に期待しています。そのためにも、これ以上、人間の節度のない欲望の犠牲にしてはなりません。
ビンに入れることによって土の持つ質感や時間は封印されます。そのことは有機的な親しみから遠ざけてしまうことになるのですが、逆にイマジネーションは刺激されます。具体的なことを消すことによって、ビンの中の物質そのものと対峙することになります。わずかな手がかりをもとに自分でストーリーを作っていけるとも言えます。もちろん採集した地名の表記は重要だと考えています。それは見る人との関係性、その土地に生きている人との関係性からもです。こうなってくると、果たしてこれはアートなのか、博物学的な資料ではないか、という声も聞こえてきます。自分でもうまく説明できないほど、この両者ははっきりと分けることはできないと感じます。少なくとも、どんな科学者でも不思議さ、美しさ、発見の驚きや感動からスタートしていることは間違いありません。それはアートでもまったく同じです。できることなら、あまりに離れすぎてしまったアートとサイエンスの狭間を橋渡しするような仕事に成長してくれるとうれしいのです。子どもたちが作品に接する時の目を見ればわかることです。彼らはアートとサイエンスを分けてはいません。


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by soil_library | 2006-08-02 00:51 | TEXT

いのちの土 (2013) 3/3

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ここまでは「どうして土を拾うようになったのか。」それと、ちょっと飛ばしすぎましたがこの仕事がどこへ行こうとしているのかについても話したつもりです。それでもまだ漠然としていることもありますから、少し具体的なことに入っていきましょう。
ただ土を拾うとはいってもどこかしら拾う場所は選んでいるわけでそれはいったいどんな基準なのか、よく尋ねられる質問です。実を言うとあまり特別な場所で拾っているわけではありません。もちろんはじめの頃は赤や黄色などカラフルな土が露出しているところが中心でした。土砂崩れや工事現場も狙いました。しかし、徐々になんでもない畑や田んぼの土にも微妙な色の違いがあることがわかり、それこそ手当り次第に拾うようになったのです。結局のところ、この地上に汚い土はありません。すべての土が美しくて、愛おしいのです。そしてひと握りずつ色が違います。この地上は四方八方に微妙なグラデーションで色が移ろい、彩られているのです。どの土も美しい以上、採集する場所を選ぶ必要はありません。別に地質学的な興味があるわけではありません。そこに人間が暮らし、土にその生き方が映り込んでいるという事実が重要なのです。全市町村の土集めという目標ができてからは、ひとつの街でどこでもいいから最低一カ所。複数箇所拾える場合は、東の端と西の端とか、なるべく離れた場所で。なんとなく惹かれる地名があったらその場所で。温泉や鉱山があったらちょっと寄り道。北海道のような広大なところでは10キロごとに車を止めようなどという決めごとを作ることもあります。基本的には車が安全に止まれるスペースがあること。畑と田んぼでは明らかに土が違うので、その両方がある場所は効率がいいわけです。あまりに単純な作業に陥った時には、空海が見た土、芭蕉が見た土、などとテーマを決めて彼らの足跡を追う旅をしてみたりもします。


人間の欲望には際限がありません。次々と目移りして欲しくなります。それは土拾いでも同じことです。例えば他ではなかなか見かけない色の土が見つかったとします。どうしてもたくさん欲しくなります。それが滅多に来られないような土地だったらなおさらです。はじめはほんのひと握りのつもりが、土のう袋になり、しまいにはトラックを借りようなどという話にもなりかねません。そこで、自分への戒めとして、片手でひと握りのみと制限をかけています。量が必要なのではありません。自分がその土地を踏んで、土をひと握りしたという事実だけでいいのです。
本で読んだのですが、1センチの土ができるのに100年かかるそうです。これを知ってしまうとおいそれと土を動かすことはできません。掘り出すことはせず、表層だけをすくいとるように気をつけています。生活のためもあって10年ほど遺跡発掘のアルバイトをしていたことがあります。それだけに地中にはどんな時間の堆積があるのかは身に付いているつもりです。いってみれば、掘ってしまうことは過去の時間を奪ってしまうことです。それでも、重機がうなりながら土を動かしている姿を見ない日はありません。目を覆いたくなる光景ですが、できるだけ勇気を出してそんなところにも足を踏み入れるようにしています。数日後にはコンクリートで窒息死させられてしまう土の救出のためです。この時も涙を飲んでひと握りです。自分がひと握りすることで未来の子供たちにも伝えられると思うと、これはやりがいのある仕事です。


土は拾ってきた状態ではほとんどの場合、湿っています。そのままにしておくと土の中の生物が窒息してしまうので、家に戻ってきたらすぐにビニール袋から取り出して風に当ててあげます。現地で土に触れている瞬間も好きですが、少しずつ乾いていく様もまた美しく、その場に座り込んでしばしば見とれてしまいます。ひと握りの中に四大霊が宿っていると実感できる時間です。土の中の虫たちは移動を始め、葉っぱや根っこは身体を反らせながら浮き立ってきます。完全に乾くまで下に敷いた新聞紙を何回も替えてあげます。まるで赤ん坊のおしめを替えるようなものでますます親密な関係になっていきます。
作品にもよりますが、土のラフな表情を見せる場合、葉っぱや根っこ、小石などを取り除きます。この時はピンセットを使いひとつひとつ摘まみ取っていくのですが、ここまで手をかけてあげると身内のような親しみです。サクサクしていてラフな状態が残しにくい土はこの段階でふるいにかけてしまいます。この作業も大好きで、ふるいの下に表れる土の色、柔らかな触感、それとふるいの上に残る砂や小石、根っこなども美しさが際立ちます。これらの作業はかなり人為的なことで、自然状態では決して見えないものが見えてきます。なるべく暴力的にならないように気をつけていますが、土にとっては迷惑なことでしょう。それでも、展覧会場に並べられ、多くの人に賞賛されると、しまいには土たちも誇らしげに胸を張って役割を果たしてくれているようにも思えるのです。


若い頃、銀行になんか貯金しないで自分自身に貯金するように、とある人に言われたことがあります。何でも見て、食べて、旅をして、自分につぎ込むようにしてきました。むしろそのためにアルバイトを繰り返していたとも言えます。そんなこともあって未だに銀行にはわずかな貯金しかなく、身軽です。何かあった時に向けて備えるよりは、何かあっても向き合えるように備える方が賢いと考えます。
土採集には車を使いますから、想像以上に経費がかかります。ガソリン代、食費。ほとんどは車中泊ですが、たまにはホテルにも泊まります。プロジェクトに向けての土採集の時は経費を出してもらえる場合もありますが、基本的には自分でまかなわなければなりません。絵画や彫刻であればいつかは売れる可能性もありますが、この仕事の場合はあまり期待できません。でも、いま思えばそれは幸せな状況だったと思います。浮き沈みを気にすることなく、淡々とした蓄積のみがこの仕事の生命ですから。アーティストがどうやって食べていっているのか、おそらく誰にとっても興味のあることです。しかし、ひっくり返してみれば、誰しも同じようなものだと思います。違うのは価値観だけです。
中学生の時に、父親に「将来どんな仕事をしたらいいだろうか」と相談したことがあります。「お前は手先が器用だから大工とか植木屋とかがいいんじゃないか」と冗談ぽく言ったあと、「お金を触る仕事だけはやめろ」と語調を強めました。父は銀行員でした。おかげでこんな生き方になりましたが、いまでは父に感謝しています。


私の作品は仏教的であるとしばしば言われます。海外では「ZEN」とか「MANDARA」という言葉を使われることもあります。宗教色を帯びることで妙に観客との距離が離れてしまうことを恐れているため、なるべく自分からは宗教的匂いのする言い方はしないようにしています。しかし、日本で生まれ育ち、アジアの国をさんざん旅した以上、まったく影響がないとは到底言えません。というか、かなり影響を受けています。ただし、影響を受けているのは仏教だけではなく、私たち日本人なら誰しもそうであるようにアニミズムや神道も深く関わってきます。それに加えて、アジアの旅の途上で出会ったヒンドゥー教や、イスラム教、近年ではキリスト教も当然関わってきます。
私の作品では、例えば100ではなく108、50ではなく49といった数字が使われます。108は煩悩の数であり、49は輪廻、もしくは成仏に必要な日数です。床面に正方形に設置する時には3X3を基本として、例えば9X9、27X27といった構成をします。これは明らかに曼荼羅の構造そのものです。土を円錐状に盛った作品も表れますが、これは須弥山といってもいいでしょう。四角い生成りの和紙の上にのせるのはどう見ても神道スタイル。そもそも自然界からお借りした土をそのまま手を加えずに提示するのはどう見てもアニミズム。こうしてとてもNOとはいえないほどに日本的宗教性に影響を受けています
ある仏教寺院の僧侶が「お寺は自分自身を見つめるためにすべての人に開かれた場所」という言い方をしていますが、それに倣えば「アートは自分自身を見つめるためにすべての人に開かれた装置」とも言えます。おそらく宗教もアートも目指しているところは同じなのだろうと思えるのです。


日本での活動と平行して行っているフランスでの活動もとびとびではありますが10年を迎えました。どうしてフランス人がこの仕事を好きなのか。明確な答えは見つかっていませんが、日本でいうところの「風土」に非常に近い「テロワール」という言葉を大切にしていることもひとつの理由ではないかと想像しています。
フランスではアーティストがひとつの職業として認知されています。すなわち社会の一員として受け入れられているということです。契約書にサインをした以上、仕事を完遂しないとペナルティーもあるわけで責任もあります。でも、そのぶんやりがいはあります。更にいえば、リスペクトされることによって仕事はより充実して高みを目指せます。日本では、私たちは職業区分の上では「その他」もしくは「無職」となります。責任感がないといい仕事は生まれてきません。文化の土壌を育てるためにも、アーティストに責任ある仕事を与えるべきです。
10年も続けている割には不思議なくらい作品スタイルがフランス文化に影響を受けることはありません。もちろん学んだことはあります。例えば天井までの高さが10メートル以上もある教会で展示するようなことは日本ではありません。教会そのものが天を意識する構造になっているのですが、その床面に作品展開することによっていかにその上の空間が大切であるかを身に染みています。天は地があるからこその天、地は天があるからこその地。日本では天と地、そして人間の存在は霧のような状態で一体化しているように感じます。フランスでは天と地がはっきり別れていて、その狭間に人間の存在があります。これも風土からくる違いなのです。やっぱり知らないうちに影響を受けているのかもしれません。


この20年あまりを振り返ると、浮かんでは消え、やり始めたもののいつの間にか消滅したプロジェクトもずいぶんあります。そんななかであまり表舞台には出てこないけれど、やめられないことがあります。それはやめてはいけないという意味ではなくて、一度何かを始めたらやめられなくなる私の性格的なことからきています。これらには日記的な側面があって、自分にとっては表に出ている作品よりも私的な親しみがあります。
満月の日の浜辺でのパフィーマンスについては既に話しましたが、その後も満月は気になって仕方がありません。女性は身体のリズムで月の満ち欠けを感応できる仕組みになっていますが、男というのは惨めなもので、相当意識しないと宇宙のリズムの中に入っていくことができません。そこでカレンダーに満月の日を書き込み、その日には何かひとつの行為をしようと考えたのです。何でも良かったのですが小石拾いです。土ではなく小石だったのは、それがひとつの星でもあるからです。土はその集合体なので、ひとつの社会ともいえます。普段はマンツーマンよりも社会との方がつきあいやすいので土を対象にしていますが、満月の日だけは小石です。このことによってようやく月の引力を感じる準備ができるのです。
もうひとつはポストカードに土を貼って送るプロジェクト。海外を旅している際は滞在した街での採集ということにしていましたが、2003年からは日課になりました。毎日どこかで屈んで土をひとつまみしています。目的地のない巡礼旅のような気分です。何か別のことを見つけない限りおもしろくてやめられそうにありません。


2011年3月、一生忘れることのできない出来事が起こりました。大地震とその後の津波をきっかけにした原子力発電所の爆発事故のことです。この時の焦りと戸惑い、悔やみと情けなさは忘れることができません。アンドレイ・タルコフスキーの映画は私の作家人生の基礎を築いてくれたといってもいいのですが、実は最後の作品「サクリファイス」だけは未消化なままでした。それがこの時には自分たちのこととして全身全霊に叩き突きつけられたのです。病魔に冒された身体を支えながら、それこそ命がけで発してくれたメッセージを私たちは見過ごしてしまったのです。
すぐに「INNOCENCE」という作品を作りました。イノセンスにはいろんな意味があって、無邪気、無防備、無垢、無実、無罪、、などです。こんな時は英語のタイトルはいろんな意味を総括してくれるので便利です。フランスバージョンと日本バージョンのふたつを作りました。フランスバージョンは一本のビンに福島の土(飯舘村)を入れただけです。これは汚染される以前に採集したもので、いってみればこれから先、採集することができない土です。私たちはこの土の声を聴かねばなりません。土から学ぶ姿勢を持たねばなりません。12世紀のロマネスク教会に展示され、この一本を囲んで人々が語り合いました。日本バージョンは4本のビンでできています。一本目には広島の土、二本目には長崎の土、三本目には福島の土、そして四本目は空です。自分で作っておきながら涙が出るほどに恐ろしい作品です。作品に社会性を込めることは実はあまり好きではありません。こんなものは作りたくなかったし、今後は絶対に作りたくはありません。


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この絶望的な世界で暮らしていても、目の前の木々の揺らぎや鳥の鳴き声には深い幸福感があります。木は一本ずつ姿が違い、鳥ですら一羽ずつ囀り方が違います。この世界にはふたつとして同じものはありません。それをひと握りの土から教えてもらいました。そのことはそのまま私たち人間にも当てはまります。同じような姿形をしていても、みんな顔が違い、考え方も違い、それぞれの歴史も違います。そして地上に汚い土がないように、人間も元を正せばそれぞれが妙なる存在なのです。赤ん坊の姿を見ればわかることです。土の仕事を通して言っていきたいのは「世界の多様性」です。あいつの考え方はわからない、だから排除しよう、ではなく、自分とは違うけどああいう考え方もあるんだな、と思えればいいのです。それぞれの違いを認め合っておもしろがれれば、無駄に争う必要はありません。多様な世界の唯一の存在として生かされていると自覚すればいいのです。争わない知恵を持ちましょう。
石庭で有名な京都の龍安寺には、禅の神髄ともいわれる言葉が刻まれた石のつくばいがあります。「吾唯足知」。私は満足することを知っているだけです、というような訳になるでしょうか。今更私が持ち出すまでもありませんが、この言葉をかみしめながら少しでも未来につないでいけるように仕事をしていきたいものです。

(2013年7月8日 シャマランド、エソンヌ、フランス)

「Booklet 22 コスモス」(慶應義塾大学アート・センター)より 2014
by soil_library | 2006-08-02 00:50 | TEXT

いろんな土、いろんな人 (2011)

栗田宏一

 今からちょうど四半世紀前、社会に出てからしばらくして私は大きな壁にぶち当たっていた。がむしゃらに働いて身体を壊し、仕事における自分の能力にも自信が持てない。せっかくこの世に生を受けたからには何かしらやるべきことがあるのではないか。しかも、自分だからこそできることが。悶々と悩んでいるときに、ふと背中を押してくれる出来事と重なって、日本を飛び出してみた。
 まずは神戸港から船で中国上海へ。そこから列車に三日ほど揺られてウイグル自治区に入った。中国領となってはいるが、漢族とは全く由来の異なる人々が暮らし、独自の文化を築いている。しかし、そこで知ったのは、テレビ番組の「シルクロード」からは明らかにかけ離れた厳しい現実だった。西洋からやってきたバックパッカーたちの間では、タクラマカン砂漠東部で行われた核実験の話題が持ち切りで時折、激しく言い合っていた。中国政府からの正式発表などあるはずもなく、何万人もの現地人が被曝したという。その汚染地域にすでに自分もこうして立ち入っている。しかも、何も知らないまま。あまりにも何も知らない自分、アンテナの鈍い自分に愕然としてしまった。
 結局のところ、このアジア全域を陸路で巡る旅はギリシャにたどり着くまでに五百日を要した。毎日が知らないことだらけの新しい出会いと、驚きの連続。世界にはいろんな人がいて、いろんなものを食べて、いろんなことを考えている。些細なことでトラブルもあり、救いようのない醜い争いもある。でも、そのすべての人の存在は尊く、美しかった。私たちのこの世における究極の目標とは、他者も自分も傷つけることなく、毎日をありのままに幸せに暮らしていくことだ。それぞれの違いを否定するのではなく、その違いをおもしろがり認め合うこと。それこそが、この世界を次の世代につなげていくための基本姿勢ではないか、と旅をしながら漠然と考えていた。
 では、その基本姿勢を簡潔にわかりやすく人に伝えていくにはどういう方法がいいのか。才能があれば政治家になるのが早いし、経済を動かしながらだったらもっと力強い。話術や文章が上手ならなおいい。でも、急に何かができるようになるわけでもない。「自分にできること」は何か。単純ではあるが「自分の生き方を見せること」しか思いつかなかった。ちょうど、その頃のアートシーンは、絵画や彫刻といった創造した「もの」を見せる方法から、やっている「こと」を見せる表現が分離独立していく途上だった。美術大学を卒業していることが前提ではなく、オンリーワンを持っている人が立ち上がっていける世界に思えたのだ。あのどうしようもない自然界の大きさと、頼りない小さな自分との出会いをぐっと一握りにして、しかもさりげなく提示するような方法はないものか。できれば自分の手跡をできるだけ残さずに、自然界の摂理までもがあぶり出されているのが理想だ。そもそも自然界は四大要素で構成されているにすぎない。すなわち、地、水、火、空気。中でも土は、水に洗われたり錆びたりしながら色を変え、地熱や太陽熱によっても変質し、空気によって風化していく。土はすべての要素と、途方もない長い時間をかけて関係し合ったことによって今の姿となっている。
 土は森羅万象の神秘をその中に宿しているようで愛おしかった。おまけに、無機物だけで成り立っているのではなく、植物や動物の腐食物、すなわち私たちの生きる様も混じり込んでいる。「自分たちが自然界の一員である」ことを自覚するのには大変な想像力を要するものだが、土は簡潔な形でわかりやすくそのことを見せてくれる。「土に還る」という言い方もあるくらい、母なる大地から生まれてきたというDNAはあらかじめ私たちに内包されている。それなのに、あまりにも目を向けていない。むしろ、実際には汚いものとして蔑んできたといってもいい。他者を蔑む意識は争いごとの始まり。一人ひとりを尊重し合って共存していくべきときに、土にそれを代弁してもらうのはとても有効であると考えた。
 それからかれこれ二十年間、あちこちに立ち止まっては片手に一握りずつ足もとの土を拾い続けている。今では日本列島全域で拾った土が三万種類を超えているが、どれひとつとして同じ色はない。歩けば歩くほど違う色、違う手触りの土と出会えるのだから楽しくて仕方がない。街角を曲がるたびに新たな出会いがあるのと同じ感覚だ。これだけ土を集めている人もあまりいないだろうから、世間では「土の専門家」と思われているようでもある。しかし、全く専門知識はなく、あまり興味もない。「どうしてこんなにいろんな色があるんですか?」と尋ねられると、「不思議ですよね。」と答えるしかない。でも、それでいいのだと思う。一握りの土がすべて他とは違っているという事実をきっかけにして、一人ひとりの多様性に思いを馳せてもらうことができるならば。そこから先は受け手がいかようにも広げていってくれればいい。
 旅の始まりから四半世紀を経た今、またしても大きな壁にぶち当たってしまった。これは私に限ったことではない。唯一の被爆国として世界に非核を訴えてきた私たちが、こともあろうに核によって「自曝」してしまった。残念ながら元に戻すことはできない。土には何の罪もないのに、勝手に「汚染土」とされて、処理されていく。二度と握りしめることのできない土たちに対してなんと言い訳をしようか。ここから先、アートという手法が適当であるかどうか、今はわからない。ただ、これ以上自分たちの足もとをすくわれないためにも、足もとに目を向けるきっかけを提示していく必要はありそうだ。すべての人に対する慈しみのためにも。

「CEL」Vol.97(大阪ガス エネルギー・文化研究所)より 2011
by soil_library | 2006-08-02 00:40 | TEXT

森のなかで (2007)

作家の言葉 | 栗田宏一

ー「ソイル・ライブラリー/和歌山」についてお話をお聞かせ下さい。

今回は展示室を飛び出して、この空間を選びました。というのは、色を見るのにはやっぱり自然光のほうがいいので。いろんな色の粉の入った瓶が並んでますけど、これは和歌山県全域、全市町村をまわって拾い集めた土です。和歌山県に住んでいる方の自分の町の土、生まれた町の土が必ずどこかにあるわけです。せっかく和歌山県でやるので、そういうシステムを作ろうというのが前提でした。合併前の50市町村すべてをまわりました。平成の合併にはどうしても共感できないものですから合併前の区分けにこだわっています。実際にはこの展覧会のオファーを頂いた時点で既に全部の市町村をまわっていたので、どこにどんな土があるのかは頭の中に入っていました。だから、ある程度どんな色合いがそろうかはイメージできていました。
展示は、色がグラデーションになるように並べています。「どうやって色をつけるの?」とも聞かれるのですが、色はつけていません。自然のままの色です。採集する場所も聞かれるんですが、特に選んでいません。というのは、土っていうのはどこで拾ってもとってもきれいなんですね。車でまわっているので、パターンとしては、車の停まりやすい所ですね。畑、田んぼ、崖どこでもいいんです。あとあんまり人目のない所がいいですね、やっぱり。土を拾っているのはなんかちょっとあやしいので(笑)。実際には和歌山県内を1000km以上走りました。
和歌山県には日本列島の背骨ともいわれる中央構造線が走っていて、特に南部は岩っぽくて、実際には一握りの土の中には石がかなり入ってきます。ふるいをかけてその石を取り除いてあげないと微妙な色が出てこないんです。それと、濡れている時は反射率の関係なのか、みんな同じような色に見えちゃう。乾かしてあげるとはじめてぐっと色が出てくるんです。一つだけずっと見ていると、実はどうってことないただの土です。だけど並べることによって、隣と比べることによって、一つ一つが輝き出す。これはとっても不思議なことで一つの田んぼや畑を見てても、色ってよく分からない。隣と比べることで色の違いが見えてきます。要するに、右手で握った土と左手で握った土も違うわけです。
ガラス瓶は108本並んでいます。というのはお分かりでしょうけど煩悩の数です。過去に36、現在に36、未来に36の煩悩があって全部で108つになるらしいですね。今回は一列に並んでますけど、実は端と端をうまく繋げば円形に展示することもできるような作品なわけです。要するに一種の念珠、数珠ですね。

ー何回も聞かれていると思いますが、何故、土なのでしょうか。

話すと1時間かかるかもしれない。いやもっとかも。ある日突然思いついたわけじゃなくて、とってもいろんなことが絡み合って、いろいろ模索した末になんでもない土にたどり着きました。何をやっていいのかわからない20代、30代、いろんなことをやってみました。インドやアフリカなんかをへとへとになるまで旅してもわからない。ただ、当たり前ですけど、やっぱり自然界の凄さには打ちのめされますよね。その自然界の凄さっていうのは誰にも否定できない。では自然界そのものを一握りして、その凄さをさらりと提示できるような表現はないものかってずっと考えていたんです。じゃあ自然界とは何かというと、要するに地、水、火、風の4つなんですね。大地、水、火は地熱や太陽熱も含めてだと思うんですけど、それと空気。それらが一握りできるものはなにか、と考えてみたところ、土だったんですね。ありがたいことに土っていうのは無機物だけではなく我々人間のかけらとか、葉っぱとか虫のかけらとか、そういう有機物も混じっている混合体なんです。だから地球の歴史とともに我々の歴史も混合している。すなわち私たちが自然界の一部であるということをとってもわかりやすい形で示してくれているなって思ったんです。
実際に土を自分の手で握って、いろんな場所の土と比べてみた時に、色合いのバリエーションや、時間の深さとか、この凄さに気が付いていなかった自分自身に非常にがっかりしたんですね。自分の足もとすらしっかり見ていなかったことに本当にがっかりしたわけです。それでとにかく、まずは足もとを見つめ直すことから始めたわけです。
土の色にこんなにバラエティがあったとは意外とみんなも知らなかったことで、展覧会ではやっぱりほとんどの人が、びっくりしています。日本でもフランスでも老若男女関係なく。逆にいうと、こんなことをする人が今までいなかったということでしょうけど。土を乾かしたりふるいにかけるなんてことも、やっぱりよほどのことじゃないとやらないですよね。ここまでかなり作為的なことをやって、はじめて微妙な色が出てくるんです。そこまでやって比べてみないとわからない。人間もそうで、あるグループになったり、仲間たちが集まって、はじめてその人が光ったり、それぞれのキャラクターの面白さが出てきたりすることってあるじゃないですか。そういうのとやっぱり近いかなと思いますね。比べることによって見えてくる。

ー土そのものの美しさといっても、土に何か人の手が入ることによって、気づかされる部分、見えてくる部分というのがあるんですね。

そうですね。ただ、この仕事は何か特別な技術を持っていないとできないというわけではなくて、言ってみれば誰でもできることなんです。子どもでも。僕と同じように土を拾ってきて乾燥させて、ふるいにかけて瓶に入れたら同じものができる。ということは逆に凄いことだなとも思います。もちろん、どの土を選ぶかはみんな違いますけど。そういう意味でも普遍的なところや無名性的なところがあって、だから幅広くみんながおもしろがって、引き込まれる。好き嫌いという以前にね。

ー土という物質の強さですね。

この作品を見て「嫌い!」っていう人はあまりいないんですよ。「なんやこれ!」と叫ぶ人はいますけど(笑)。土というのはあまりきれいなものというイメージはないけれど、こうして見せると「汚い!」っていう人もいない。それは自然界の凄さを無意識に受け入れているわけです。無条件降伏。否定はできない。こうなってくると僕は単にトランスレーターとして美しいものを運んでくるという役割だけでいいんじゃないかとも思えてきますね。

ーええ。

シンプルに提示すればする程、見る人はいろんなふうに感じられる。今回は和歌山県民の足もとをすくって歩いたみたいで怒られちゃいますね。でも、逆に言えば足もとをすくわれないように、みんなちゃんと自分の足もとくらいしっかり見ようねってことなんですね。

ー地に足をつけて。

ええ。地に足をつけているにもかかわらず、意識していないっていうことですね。意識してものを見るってこと。あんまり意識しすぎると前へ進めないですけどね、面白くて。ありとあらゆる自然現象は面白いですから。

ー栗田さんの仕事は、森のなかで無数の隠花植物や粘菌などと戯れながら独自の思想を作り出していった南方熊楠にも通じるところがありますね。

熊楠はやっぱり以前から気にしている人です。僕は美術家としてよりも、フィールドワーカーとしてスタートしたという部分が強いんです。だから影響を受けた作家と言われると、あんまり美術家の名前が出てこなくて、むしろ百科事典的な仕事をしている人、白川静とか中谷宇吉郎とか、ひとりで追いかけるのにはあまりにも対象が大きくて限界があるけれど、ひとりの目を通ったことで初めて見えてくる世界。どちらかというとそういう仕事に惹かれるタイプなので、熊楠の仕事も非常に気にしていました。日本の古層が非常によく残っている土地という意味でも紀伊半島には頻繁に通っています。森に関して言うと、実際の森というよりも、我々の内部にある森みたいなものを忘れかけているわけで。たぶんそのへんが熊楠の世界と繋がってくるのかなと思うんですけど。実際に森からここへこうして持ってきましたよっていうだけではなく、自分の中の森を発見しようということですね。

ー和歌山以外でも、全国各地の土を集められてますね。

この仕事の最終目標のひとつは、日本全国全市町村3233の土を、もちろん合併前の数ですが、全部集めて一同に並べたいということです。常時見られる施設が作りたい。ソイルライブラリーと自分では言っています。そうすると見に来てくれた人の産土が必ずあることになります。自分の生まれた町の土がある。そこが入口になって何かを考えるきっかけになるはず。「わあ、きれい!」っていう入口から、それぞれの人が何を考えてくれるかは一人一人がみんな違う。全部で3233のうち、今日現在で3058まで終わっています。あと175。ここまで15年ほどかかっています。残っているのは都会の真ん中、とんでもない山奥、あとは小舟に揺られて行く離島。南大東島とかね。ここから先は時間もお金もかかる大変なところばかりなので、このペースだとあと10年ぐらいかかるかな。

ーもう少し栗田さんの目指されているところについて教えてください。

先入観を壊す、既成概念を転換させるっていうのは、やっぱりアーティストの仕事でもあるし、アートの力でもあると思います。なにげなく自分たちが見過ごしているもの、気にしていないものから何か見つけられないかというのがこの仕事のねらいです。もうちょっとつけ加えると、結局全部違うということの面白さですね。土が一握り一握り、全部違うことの面白さ。それを見ている人、ひとりひとりもみんな違うという面白さ。汚い土はないんです。だから見ている人もみんなそれぞれ尊い命を持っていて美しいんですね。そのことにそれぞれが気がついて、隣の人との違いを認め合って、面白がって、生きていけたらなあと。そのきっかけになってもらえれば、これはとってもいい仕事じゃないかと。土の美しさを見せようというのはあくまでも入口であって、そこから先は見る方の自由。隣同士にどんな色が来ても似合うよ、人間もどんな人ともなんとか仲良くやっていけるよ、パレスチナの土とイスラエルの土を隣同士に並べても喧嘩しないよ、、、この世界は非常に多様で面白いですよね。

2007年10月20日 和歌山県立近代美術館にて
聞き手:奥村



ー「土の時間/和歌山」についておたずねします。土の時間というのは?

それぞれの生き物や物質にはそれぞれの時間があって、人間にも人間の時間があるけど、土にも土の時間というのがある気がして。ずいぶん波長がゆっくりなようですけど。

ーシャーレに入っている水が乾燥して、土にひびが入って変化していく時間がまずひとつあって。

そのことも一つの時間ですね。もちろんこの土が地球創世からここまできた時間。この瞬間に土が生きているという時間。それに今度はそれを見ている人の時間が入ってきます。そのあたりが美術鑑賞のおもしろさでもありますね。自分が作品の時間に関わっていける。

ーじっとこの作品を見ていると自分たちの時間のことも考えますよね。あとやっぱりリズムとか。

僕の表現の始まりはパフォーマンスです。とにかく森の中にただ立っているということをしていた時期があります。その時、自分の鼓動というリズムと、森の中のリズム、木のリズムとが共振する瞬間があるんじゃないかと思ったんですね。もちろん森や木の流れと、僕らの流れは違うんですけど、どこかで合う瞬間がある。その頃からずっと時間に関する思いというのが続いています。でも、たぶん木よりも土のほうが時間は長いんですよね。石の時間ともまた違って。土の時間の場合は集合体なんです。一粒一粒によって違う時間を持っている。一握りしても全部が同じ時間を持っているわけじゃない。一粒ずつ違う。だから途方もない大きな社会になるわけですよ。一人一人みんなの時間の持ち方が違うように、土の一握りの中も全部違う。結構、複雑なものだなと。複雑なものだからこそシンプルに見せた方がいいんですね。こそこそっとなんかやってポンと置いただけじゃないかと言われたり、ほんとに土しか展示してないのであっけにとられたとか書かれたり(笑)。人の反応は面白いですよね。その人の持ってきた時間があまりに短いと、土と呼応する時間がなくて「なんだ土しかない。」って言って帰っちゃうんですね。

ー「ソイル・ライブラリー/和歌山」は、時間の感覚が少し違いますね。

あれはもう時間を封印しちゃっているわけです。封印すると、もうそれでピタッと時間が止まっちゃう。そのぶん、今度は色とか、質感とか、地名だとかが見えてきて、イマジネーションが刺激される。標本的な出し方をしているので、ちょっと博物館寄りともいえるかな。かといって博物館で扱えるほどの専門知識でまとめているかというと、そうでもなくて。だからちょうどそのはざま。美術館と博物館の深い溝を埋めるための仕事がもっと出てきていいと思っているんです。だからあえてミュージアムという言葉を使わずにライブラリーと言っている。両者をつなぐキーワード。どっちにも相手にされないけれど、どっちからも相手にされるという、そのへんが凄く大事なんじゃないかな。熊楠の仕事を再考する意味でもね。あえて博物学的な形にした作品を、なかへち美術館のとても美術館的な空間に展示できたのも、してやったり、という気分ですね。熊楠が生きてたら、ひっくり返っておもしろがってくれると思いますよ。

2007年7月27日 田辺市立美術館にて
聞き手:奥村


「森のなかで」(和歌山県立近代美術館)カタログより 2007
by soil_library | 2006-08-02 00:30 | TEXT

足もとに架かる虹 (2007)

栗田宏一

 昨秋、フランス中西部のポワチエに2ヶ月ほど滞在する機会を得た。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへ通じる巡礼道の中継地として昔から栄え、いまでもロマネスク建築の教会がいくつも残っている。人の住む家々にも過剰な装飾などなく、いつ建てられたのかもわからないほどオリジナルに近い改修がされている。そのため、街全体に削ぎ落とされた潔い空気がある。
 今回はこの街のミュージアムでの個展のために招聘されたのだが、あてがわれた市営住宅は残念ながら5階建ての近代建築。それでも、街を訪れるアーティスト用に市がキープしているのは、このアパートの中でも最上階で最も広い上等な部屋だ。何よりも、大きなテラスがあるのがうれしい。これならアトリエも兼ねられる。文化事業にアーティストが関わるのがごく普通のことであるとはいえ、このような部屋を常に用意しているというのは、日本ではちょっと考えられないことだ。このテラスがすっかりお気に入りになった。
 こんなに空を意識して暮らしたのは、ずいぶん久しぶりのことだ。四方を山に囲まれた甲府盆地で生まれ育ったため、朝日に染まる南アルプスから、夕日に染まる富士山までの空の色の移り変わりの見事さは身に付いているつもりだ。しかし、いつの間にかまわりを住宅で囲まれ、いまでは頭上の狭い空しか感じられなくなっている。わざわざ出かけていって見上げる空と、朝起きた部屋の窓から見える空ではちょっと深さが違う。
 日本の風土の中では、空と大地は一体化して、人間はその曖昧な狭間で溶け込むように暮らしている、と個人的には感じている。しかし、フランスでは、空は空であり、大地は大地である。そのどちらにも属さないものとして人間があり、その存在を問われているような感じがある。それほどに空そのもの、大地そのものの存在感が大きいのだ。もっとも、これは風景の広さと空気の透明感からくる錯覚なのかもしれない。しかし、古今東西、どんな人でも空の色合いの美しさに感動することに違いはない。特に夕暮れ時、黄金が高温で溶融しているような山の端の目映い色から、星が瞬き始めた頭上の吸い込まれそうな濃紺までのグラデーションの見事さは、どんな言葉を持ってしても表現できるものではない。それと同様に、自然界のあらゆるものは美しく、いとおしい。光線によって表情を変える水辺、季節による森や野原の色合いの変化。花や昆虫たちに固有の色。誰にもその美しさを否定することなどできない。
 しかし、なぜか、足もとの土が美しいという話は聞いたことがない。どうしてだろう。誰もが美しいと感じる空や海、森や花と同じ自然界の一員だし、言ってみれば最もベーシックなものなのに。「土」というと美しいどころか、汚いという印象を持っている人がほとんどだ。ちなみに辞書を引いてみても、良いことなど書かれていない。「(力士に)土がつく」「顔に泥を塗る」「雲泥の差」。英語の「soil」にも決して良い意味はなく、どうやら万国共通で「土」は悪者のようだ。こんなとき、アーティストというのはひねくれていて、どん底で蔑まれているものを誰もが頭を下げざるを得ない状況に持っていけないものか、と考えたりするものだ。
 足もとの土をじっくり見つめ始めて、色の美しさ、ノスタルジックな手触り、テクスチャーの多様さに驚くとともに、自分の足もとすらしっかり見ていなかった自分自身に心底がっかりした。いずれは土に還る身の上であるというのに。それからは、行く先々でひと握りずつ土を拾い、気がついたらこの15年あまりで2万種類を超える土が手元に集まっている。驚くのは、そのどれもが異なる色を持ち、決して同じ色がないという事実だ。おまけに汚い色なんて一つもない。他人から見たらばかげた作業の繰り返しに見えるだろうが、無限の出会いに魅了されて、まったく飽きることがない。人がひとりひとりみんな違うのと同じように、足もとの土もひと握りずつすべて違っている。しかも、言われているように茶色や黄土色だけではなく、ピンクや黄色、紫、緑色、真っ白、真っ黒だってある。並べてみれば、空の色合いにだって負けることはない。私たちの足もとには少しずつ色合いを変える大地が四方八方に広がっているのだ。この地球上のすべての物質は、人間も含めて、92種類の元素から構成されていると言われている。土の色合いは含まれている元素の割合によって決まるのだというが、この美しさを前にすると、そんな理屈などどうでもよくなってしまう。
 子どもの頃は誰でも、土にいろんな色があることくらい知っていたのだと思う。選択の余地のない12色のクレヨンで絵を描かされたり、人工的な色合いの中で暮らすうちに、持って生まれた感性が気絶してしまっただけだ。たぶん、土の色だけでなく、気絶していることがもっともっとたくさんあるに違いない。自然界をじっくり注視し、時間をかけて繰り返し観察すると、思いがけない発見がある。視点を変えるだけで、当たり前であったことがひっくり返る一瞬が訪れる。先入観を消去させること、固定観念を打ち砕くこと、そのきっかけを提供するのがアーティストの仕事でもある。
 ある日、ポワチエの空に虹が架かった。個展ではポワトゥー・シャロン州で拾い集めた土を、乾燥させ、中に混じっている葉っぱや根っこを取り除いただけで、他には何の加工をすることもなく、そのまま400種類あまり並べた。一つの州だけでも驚くほどいろんな色の土があった。作品を前にして、ある女性が声をかけてくれた。
「私たちの足もとにも虹が架かっているんですね。」
その人に手を引かれている子どもの目は確かに輝いていた。


「えるふ」Vol.17 (ちゅうでん教育振興財団)より 2007
by soil_library | 2006-08-02 00:20 | TEXT

SOIL LIBRARY PROJECT/KINKI のための制作ノート(2005)

栗田宏一

10月11日/フィールドワーク開始。三重県東員町、四日市市、菰野町、鈴鹿市、亀山市、河芸町、津市、芸濃町、関町。オレンジ、黄色、ベージュ、クリーム、白、田んぼはライトグレー。滋賀県土山町、甲賀町、甲南町。いかにも信楽っぽい粘土が多い。土山町青土で青い土を探すが発見できず。隣の甲賀町で発見。一日目なので張り切って飛ばし過ぎ。琵琶湖畔にて車中泊。夜中に警察の職務質問を受ける。
10月12日/滋賀県守山市、甲西町、蒲生町、八日市市、湖東町、五個荘町、愛知川町、豊郷町、彦根市、長浜市、びわ町、虎姫町、高月町、余呉町。蒲生町ではピンク土を目指して久しぶりに石塔寺へ行く。琵琶湖畔の町はグレーのバリエーションが豊富。福井県今庄町、武生市。途端に土が鮮やかになる。黄、オレンジ、赤紫。朝日町にて車中泊。
10月13日/福井県織田町、朝日町、福井市、清水町、松岡町、春江町、坂井町、芦原町、三国町、越廼村。日本有数の鮮やか土エリア。この夏の豪雨であちこちが崩れて土が露出している。イノシシの足跡も例年になく多い。海辺の銭湯。河野町にて車中泊。
10月14日/福井県敦賀市、美浜町、三方町、小浜市。きらめく石英の浜。プラスチックの破片も美しく、まるでトニー・クラッグの浜。数年前に経塚を破壊して作った道路は罰が当たって崩落している。土は小豆色。小浜では雨になり、羽賀寺で十一面観音像を拝みながら雨宿り。滋賀県新旭町、安曇川町、高島町、志賀町。琵琶湖畔にて車中泊。
10月15日/宝ヶ池、鷹ヶ峯でアートピクニックの下見。KAC(京都芸術センター)到着。採集して来た土をワークショップルームに並べて乾燥作業に入る。早めにホテルに入って洗濯、休息。
10月16日/午前中はKACにて作業。午後からフィールドワーク再開。京都府京都市、京北町、美山町。変成岩地帯。土よりも石の美しさに目が行ってしまう。福井に入って、高浜町にて車中泊。
10月17日/美しい秋晴れ。福井県高浜町、大飯町。京都府綾部市、舞鶴市、宮津市、加悦町、野田川町、岩滝町、伊根町、丹後町。山の中をジグザグまわってから丹後半島。ところどころで赤い土。丹後町にて車中泊。細い月。
10月18日/京都府丹後町、網野町、久美浜町。以前このあたりで緑色の土を見つけたのだが、今回は見当たらず。久美浜は鮮やか土。兵庫県豊岡市、日高町、朝来町、生野町、大河内町、神崎町、加美町、八千代町、中町。生野銀山潜入失敗。兵庫県中部はオレンジ色。西脇市にて車中泊。
10月19日/夜中から激しい雨になる。兵庫県西脇市、黒田庄町、山南町、春日町、市島町、篠山市。京都府三和町、瑞穂町。カッパを着て雨の中の土採集。哀れ。大量の雨を含んで山が緩んで来ているため、早めに作業を切り上げる。篠山で宿をとる。
10月20日/いつ崩れてもおかしくない程に山が緩んでいる。台風が近畿に向かっているようなので、土採集は諦めて京都に向かう。午後からKACにて作業。暴風雨。
10月21日/あちこちで台風の被害が出ている様子。KACにて作業。
10月22日/京都精華大学で講義、ワークショップ。
10月23日/再スタート。京都府向日市、長岡京市、大山崎町。大阪府島本町、高槻市、枚方市、交野市。京都府八幡市、宇治市、宇治田原町、和束町。市街地では田んぼでの採集のみ。ライトグレー。生駒のふもとは粘土が豊富。黄色から白。今度は新潟で大きな地震。妻有の段々畑は大丈夫だろうか。平群町にて車中泊。
10月24日/大阪府藤井寺市、羽曳野市、松原市、美原町。奈良県三郷町、香芝市、新庄町、御所市、西吉野村、大塔村、野迫川村。十津川を目指すが土砂崩れで交通規制中。小さな村までは入って行けそうもないのでルート変更。和歌山県橋本市、九度山町。紀ノ川の河原で車中泊。
10月25日/和歌山県粉河町、桃山町、貴志川町、海南市、金屋町、吉備町、有田市、下津町、和歌山市、岩出町、かつらぎ町。幹線を外れてみかん畑の中の農道をつなぎながらジグザグ走る。きれいなピンク色の露頭はたぬき掘りされていて一部が崩落。左官屋か焼きもの屋か園芸屋の仕業か。奈良に入って大淀町にて車中泊。
10月26日/明け方から雨。桜井の聖林寺にて十一面観音像に対面。励まされる。午後からは信楽のミホミュージアム。琵琶湖畔にて車中泊。
10月27日/KACにて作業。乾燥の終わった土を袋詰め。夕方には京都を離れる。愛知県春日井市にて車中泊。
10月28日/岐阜、長野をまわって山梨の自宅に到着。満月。
10月29日/土の乾燥作業。
10月30日/雨。室内でデータ整理。
10月31日/土の乾燥作業と平行して、土の中から石や根っこ、葉っぱを取り出す調整作業。ピンセットを使った繊細な作業。
11月1日/乾燥と調整。
11月2日/乾燥と調整。
11月3日/乾燥と調整。
11月4日/乾燥と調整。乾燥作業は終了。
11月5日/調整。
11月6日/調整。
11月7日/調整。
11月8日/再スタート。静岡をまわってから愛知に入り、田原町にて車中泊。
11月9日/伊良湖からフェリーで鳥羽に渡る。三重県二見町、御薗村、小俣町、明和町、玉城町。明るいオレンジ色。好物の伊勢うどん。大台町にて車中泊。
11月10日/三重県大宮町、南島町、紀勢町、大内山村、紀伊長島町、海山町、尾鷲市、熊野市。七里御浜で小石拾い。大好きな湯の峰温泉。本宮町にて車中泊。
11月11日/奈良県十津川村。和歌山県本宮町、中辺路町、大塔村、上富田町、田辺市、南部川村、印南町。変成岩地帯なので土は難しい。御坊市あたりで集中豪雨。走っていられなくなり近くのショッピングセンターに避難するが、そこも冠水。河川の氾濫だろうか。疲れが溜まっていて体調が良くないので川辺町で宿をとる。
11月12日/和歌山県川辺町、中津村、美山村、龍神村、花園村、高野町、九度山町。奈良県野迫川村。今日も岩盤地帯で土探しは難航。奈良に入って平群町にて車中泊。
11月13日/徐々に寒くなり車中泊がきつくなってくる。京都国立博物館で「古写経展」。三十三間堂。みんな違ってそれでいい。
11月14日/「アートピクニック」。午前はKAC。午後から鷹ヶ峯に移動。
11月15日/京都府八木町、園部町、丹波町、瑞穂町、三和町。台風の猛威によって至る所が崩れている。通行止めが多く山には入り難い。黄色、クリーム、白。兵庫県市島町、山南町。西脇市にて車中泊。夜中に警察の職務質問。防弾チョッキを着ている。
11月16日/兵庫県西脇市、加西市、市川町、香寺町、姫路市、加古川市、稲美町、播磨町、神戸市、三木市。朱色、オレンジ、黄色と色鮮やか。土蔵の色も鮮やか。播磨国分寺跡。塔の礎石がすべて残存している。三木市にて車中泊。
11月17日/車体にうっすらと霜が降りている。浄土寺に朝参り。阿弥陀三尊。鎌倉なので肉感的。兵庫県小野市、東条町、吉川町、神戸市、三田市、宝塚市、川西市。大阪府豊能町。京都府亀岡市。白っぽい粘土が多い地帯。亀岡では濃いブルーグレーをゲット。フィールドワーク終了。名神道の菩提寺パーキングにて車中泊。
11月18日/雨。山梨までひた走る。
11月19日/雨。データ整理。採集数1219。
11月20日/乾燥と調整。
11月21日/乾燥と調整。
11月22日/乾燥と調整。
11月23日/乾燥と調整。
11月24日/乾燥と調整。
11月25日/乾燥と調整。
11月26日/乾燥と調整。
11月27日/乾燥と調整。満月。
11月28日/乾燥と調整。
11月29日/乾燥と調整。
11月30日/乾燥と調整。
12月1日/乾燥と調整。乾燥は終了。
12月4日/調整。
12月5日/調整作業終了。
1月8日/インスタレーションに用いる土のセレクト。
1月9日/セレクト。
1月10日/セレクト。
1月11日/セレクト終了。729種。箱詰め。


「空と大地を旅する」展(京都芸術センター)リーフレットより 2005
by soil_library | 2006-08-02 00:10 | TEXT

土は美しい (2000)

栗田宏一

 みるみるうちに山や丘が切り崩され、踏みにじられてゆく現場を目にするにつけ、親しい友人が惨殺されているような、背筋の凍る悲しみに襲われる。重機のオペレーターは「食っていくためには仕方がない」と言い、業者は「許可は得ている」と言い、地主は「俺の土地だ」と言い、役人は「民意だ」とも言う。どこからマヒしてしまったのだろうか。一握りの土に生命を見いだすことは、その生命リズムがあまりに長大なだけに難しいことかもしれない。でも、生きている、と私は思う。
 もちろん、縄文時代にだって、かなり大規模な土木工事が行われ、大量の土砂が動かされている。だが、数日のうちに原形をとどめぬほどに変貌する現代の作業風景とは、なにかその印象が違う。お祈りをしてから首を切り、まずは神様に捧げてから人間に下りてくる豚さんのお肉と、ブラックボックスの中で解体処理された豚肉とでは、なにかその味わいが違うのと同じようなことだろうか。どうも、人の心のありどころが問題であるようだ。
 左手で握った土と右手で握った土、隣の畑の土、ひとつ谷を越えた向こうの丘の土、川向こうの土、、、、と、なんとはなしに手にする土の色合いを比べて、その色の違いに驚いているうちに、足は日本列島の各地へと進み、気づいたら、この数年で七千種類もの土が一握りずつ手元に集まっている。これまで、アジア、中南米、アフリカなど、あちこちを旅して土を見てきたものの、どうやら日本の土が一番、多様であるようだ。列島の成り立ちが複雑で、火山があり、温泉がある。四季があり、植生もさまざまだ。七千種類の土を並べてみても、決して同じ色がないことは、当然といえば当然かもしれないけれど、凄いことだ。そして、そのどれもが美しい。美しさの基準は人によってさまざまだ。しかし、これを美しくないと感じる人はいないと思う。重機のオペレーター、開発業の社長さん、地主さん、お役人、そして、あなたにも、土の美しさに感動してもらいたい。自然の神秘というのは、山や海に行かなくても、今の自分が立っている足元にもあるんだ、と思い出してもらいたい。そのことによって、自分自身が自然の一部であると再確認することはたやすいと思うし、他者を傷つけることは、自分自身を傷つけていることに他ならないと気づくのにも、そう時間はかからないはずだ。
 誰もがいずれ土に還る。これはとっても有難い事実で、ゴミとして残らない。その土の化身である人間が、たかだか数十年の地上での滞在中に、自分の都合のいいように山を動かし、ゴミを作っている。縄文時代の人々は自然に対して強い畏敬の念を持っていたはずで、だからこそ破壊にならずに共生していけたのではないだろうか。今の私たちが、いきなり、自然と共生しようなどと旗をあげたところで、あちら側から蹴飛ばされてしまうくらいのことだろうが、せめて、自分の心のありどころを探るくらいのことはしたい。あるがままの自分を見つめ直して、維持したい。その手がかりは百人百様だろうけど、土の視点からものを見てゆくという方法は、けっこう有効な手段ではないかと思う。
 今のこの時代に、美術というひとつの手法でこんなことを言っていこうとする場合、現代社会を痛烈に批判するような衝撃的な作品を展開していった方が、受け入れられやすいだろうし影響力もあると思う。でも、そんなショック療法も有効だろうとは思いつつ、なんとなく、自分も飲み込まれてしまいそうで、近づけない。地味ではあるけれど、「土は美しい」とささやくだけの寡黙な抵抗を続けていきたい。むしろ、それの方が人の意識の最深部をちくちくと刺激することができるのではないか。そして、結果的には、そのちくちくが平和の種子の発芽を促すことになるのではないか、とどこかで確信している。


「風の計画」Vol.10(ふくろうの会ー湯布院)より 2000
by soil_library | 2006-08-02 00:00 | TEXT