Koichi Kurita Web Site栗田宏一
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15 DEC 2000

 昨日の夕方知り合ったタリクという名の青年が約束どおり三時、我々の時計で朝の九時に部屋をノックする。今までは声をかけてくるガイド志望の青年たちをあまり相手にしていなかったが、彼が「ファーイーストから来たのか?」と訪ねてきたのに対して、「そうだ。フォレストから来たんだ。」とやり返したことから話がはずみ、「名前はタリク。」「俺はその反対でクリタ。」とやり合う頃からすっかり仲良くなってしまう。「チャイナ? コリア? ジャパン?」と聞かれるよりも、「ファーイースト?」と聞かれる方が抵抗感は少ない。今日は彼の案内で昨日見下ろしたジャングルまで行ってみることにする。地図で見るといったん下の街まで下りてから大回りをするようになっているが、そこは現地人のこと、地図にはない道を直接駆け下りる。あたりはほとんど溶岩で、ここが地球レベルの造山活動の際に高熱を受けたことを物語っている。タリクにこのことを尋ねてみるが、「自分は教科書以外のことは知らない。」と正直だ。森からは薪拾いに出かけた女たちが大量の枯れ枝を背負って上がってくる。原住のガモ族だという。タリクにガモ語の挨拶を教えてもらって声をかけると見る見る顔がほころぶ。森に入ったところがちょうど美しい泉になっている。ここにはおよそ四十の泉があり、「四十の泉」をアムハラ語で「アルバミンチ」というのだそうだ。森は深く、時にはチーターのような動物が人を襲うこともあるといい、彼はこれ以上立ち入ろうとはしない。しばらく泉の淵で涼んでから再び街に向けて斜面を登る。
(アルバミンチ エチオピア)

  赤粘土ひやりと滑る池の淵

 タリクの家に招待される。バラックと言ってもいいほどの見事なまでの掘っ建て小屋。この六畳ほどのスペースに親子七人が暮らしている。もっとも、まわりの家と比べてもひどく粗末に見えるのは数年前に火事を出してしまったせいだという。母親はとても誠実そうな人で人柄が顔に出ている。父親のことは話題にのぼらないし姿も見えないので、この母親が一家の大黒柱であるようだ。この国ではコーヒーセレモニーといって生豆から煎ってゆっくりとコーヒーを楽しむ習慣があるが、特にこのように客を迎えた時にはなくてはならないもてなしとなっている。こちらも少し気を利かせてビスケットやケーキなどを手みやげにしたものだから幼い弟や妹たちも大喜び。母親が満願の笑顔で火を起こし始める。一斗缶を再利用したかまどの上で、ブリキ製のフライパンを使って生豆を煎る。もっとも煎るというよりも焦しているといった荒っぽさでもある。その香ばしい香りを同席している人々の鼻先まで振りまくのが礼儀のようだ。豆をすりつぶす作業も大胆で、まるで鉄工所から拾ってきたような筒の中に豆を入れてこれまた大げさな鉄の棒で突きつぶす。つぶした豆は直接フレスコ形の黒い土器の中に入れ、かまどの火力を上げる。沸騰して壷の口から吹きこぼれると出来上がり。壷の口にフィルター代わりに草を丸めて詰め込んでから、一口サイズの器に注ぐ。香り高さと味わい深さはもちろんのことだが、一杯のコーヒーができるまでの一部始終を眺めることがこのセレモニーの最大の楽しみといえる。徐々に味も香りも落ちてくる三杯目をいただいてセレモニーは完結する。非常に質素な生活だが、過不足のないシンプルな暮らしぶりは清々しい。彼等の表情の中に持ち過ぎた者特有の精神のゆがみや逆に貧しさゆえの悲壮感のどちらもないのが素晴らしい。
(アルバミンチ エチオピア)
# by soil_library | 2006-07-03 00:08

14 DEC 2000

 再び早朝の移動になる。零時発のバスに乗るために昨日のうちにタクシーを頼んでおいたが、その青年は誠実にも約束の十分前には部屋のドアをノックしてくれる。彼はストレートに「友達になりたい。」と言い、自分の住所を書いたメモを渡してくれる。今度この街に来た時には食事に招待したいとも言う。なかなか気持ちのまっすぐな青年が多いのはここが学園都市だからだろうか。今日のバスは走り始めと同時に天井のスピーカーから大音量でエチオポップを流す。ちょうどスピーカーの真下に座ってしまったので頭痛がしてきて、途中からは思わずティッシュを丸めて耳栓にする。道中にはバナナによく似たエンセーテという植物やイネ科の粟やキビの畑が続く。円形の家々はおおざっぱな木組みの上に直接泥を塗り付けていて、その大胆さがまた美しい。半道中を過ぎたあたりから土の色がぐっと赤味を増し、いかにもアフリカらしいラテライトの大地となってくる。
(アワサを離れて エチオピア)

 アルバミンチは丘の上と下とに街が分かれている。とりあえずは終点の上の街まで行き、中庭に大きな木のある宿に荷を降ろす。受付の女性は日が暮れたら別の商売を始めそうな雰囲気だし、中庭のテーブルまわりにもビールの王冠が散乱しているくらいだから、夜には騒がしくなるかもしれない。おまけに枕元には備品としてコンドームが半ダース置かれているあたりも怪し気だ。昼食にしては遅くなってしまったがひとまず宿の食堂で腹ごしらえ。何があるかと尋ねると「カイワット」「アリチャワット」。どんな料理か分からないがそれを注文する。カイワットは挽肉の辛味ソースでかなり強烈。アリチャワットの方は羊肉と野菜のターメリック煮込みなのでカレー感覚で食べやすい。食後はパパイヤジュース。そうこうしていると、中庭に近所の子供が三人やってきてサーカスの真似事を始める。どうせ小遣い稼ぎだろうとはじめは見て見ぬ振りをしていたが、これがなかなかかわいらしい。一番小さな子がヨガのようなことやブレイクダンスのようなことをやる。最後の締めは三人が重なって一番上でその子が片足を上げる。そのけなげさが微笑ましく、思わず拍手をしてチップをあげる。
(アルバミンチ エチオピア)

 街の郊外には大地溝帯の深みにできた湖が二つ並んでいる。夕方はそれらを一望できるホテルのカフェに座って暮れていく風景を楽しむ。この風景はエチオピア南部のハイライトといわれているが確かに雄大で美しい。手前のジャングルの陰影はその上をフワフワと歩いていけそうなほど柔らかい。こういう風景を前にすると人間の営みのちっぽけさを思うし、あれこれの思考は止まっていつの間にか風景に吸い込まれてしまう。暗くなるまで眺めていたいところだが、街まで三十分あまりの道のりを暗くなってから歩くのもいやなので早めに席を立つ。途中でいい匂いが漂ってくる食堂を見つける。漁業組合直営のようだ。もう閉店時間のようだったが、先ほど見下ろしていた湖で捕れた魚が食べられるとあって、無理にお願いしてフライにしてもらう。しばらくして出てきたのはわらじ二足分ほどの大きなフライ。あまりの量ではあるが味はよく、料理も上手にできているのですっかりたいらげる。従業員たちも店の片隅で夕食をとり始めるがそれもまたうまそうだ。興味を示すと、「食べろ 食べろ」と誘ってくれるので少しつまみ食いさせてもらう。ほぐした魚とインジェラの細切れを混ぜたものでこれまたうまい。こちらの料理は「アサラブラブ」という名で、ネーミングもまたいい。
(アルバミンチ エチオピア)
# by soil_library | 2006-07-03 00:07

13 DEC 2000

 南下して標高を下げたのでアジスに比べると別の国のように南国っぽい。それに伴って蚊やゴキブリも増え、寝る前の退治にはずいぶん手間どる。おまけにバスの中でノミをもらってきてしまったようだ。宿の庭にはハイビスカスやブーゲンビリアが咲き乱れ、湖からの風も心地よい。時おり風に乗って水鳥の群れが頭上を行き過ぎる。湖畔の水辺には全身が紫色でくちばしが赤という派手なカワセミや、図鑑でしか見たことのないような配色の鴨や鷺、それにペリカンもいる。あたりの林には猿もいて、それも毛足が長くて白黒のツートンカラーだったりするものだからすっかりサファリ気分だ。アフリカ的な巨木の下に座って大地溝帯にできた湖を眺めていると、ずいぶん遠い所まで来たという実感が湧いてくる。
(アワサ エチオピア)
  
  夏木立怪鳥落とす糞の音
  
 水辺で開かれている魚の市をぶらついてから、庶民の足になっているガリと呼ばれる馬車に乗って街の中心へ向かう。見た目よりも乗り心地は悪く、しっかりつかまっていないと振り落とされそうな勢いだ。珍しい外国人を客にとった青年がはしゃいで調子に乗っているせいもあるだろう。車の通る舗装道路を避けて土の道を走るので揺れは一段と激しい。バスターミナルで明朝のアルバミンチ行きを確認してから安食堂にて昼食。エチオピアでは水曜日と金曜日は肉をいっさい食べないツォムという日になっていて、しかも午前中は断食するのだという。そんなわけでツォムの今日はアワサ湖でとれた魚のフライと野菜と豆のベイアイネットという定食となる。国民食であるインジェラも初めて口にする。テフという穀物を粉にして、発酵させてから焼いたクレープ状のものでいかにも黒人が好きそうな酸味がある。丸い大きなインジェラを二つ折りにした上に野菜や豆、薬味のようなソースが色どり良く七、八種類ほど並べられていて見た目にも美しい。それぞれに不思議な味ではある。雑穀食が主流であるアフリカでも他ではずいぶん米食が普及してきているが、ここではほとんど米を口にすることはない。あったとしてもサラダ感覚の付け合わせくらいで味も良くない。ここから先この酸味のあるものだけでやっていく自信もないのでなんとか逃げ道を探したい。いずれにしてもどうしてこの国だけまわりの影響を受けずに独自の食文化を持続しているのか。好みといってしまえばそれまでだが、意外と保守的でかたくなな人たちなのかもしれい。
(アワサ エチオピア)

 夕方は昨日に続いて夕立ちになる。雨具の用意など考えてもいなかったが、現地人がけっこう傘を持っているところを見ると、場合によっては用意した方がいいかもしれない。街でもひときわ目立つ三階建てのビルに入り、テラスカフェで雨宿り。しばらくは街と湖を見渡しながら雨の風景を楽しんでいたが、次第に雨足が強まり吹き込んでくるようになったので、テーブルを移動して現地人に相席させてもらう。たまたま英語の上手な若者で、暇なものだからあれこれと話しかけてくる。このビルの二階で貸しビデオ屋をやっているといい、映画のことが話題にのぼる。しばらくして雨が上がると、街を覆うように大きな虹がかかる。話は映画から経済や宗教にまで広がってくる。「みんな自分のことばかり考えている。これでは未来がない。」という言葉が飛び出したのにはちょっと驚く。しばらくして給仕に我々の分までコーヒー代を渡して、「これがエチオピアのやり方だ。」と笑って立ち去る。彼の言葉の余韻が雨上がりの空気にとけ込んでゆく。
(アワサ エチオピア)
# by soil_library | 2006-07-03 00:06

12 DEC 2000

 初めてのバス旅を控えて緊張しているのか、目覚ましよりも早く目を覚ます。宿の一階のガレージで寝ている夜番のおじさんを起こしてドアを開けてもらい、ついでに広場からタクシーを拾って来てもらう。朝の零時発と聞いていたので三十分前にはターミナルに着くが、まだあたりは暗く、電灯もついていないのでいったいどのバスに乗ればいいのか分からない。人に聞きまわってようやくシャシャマネ行きのバスに乗り込む。そろそろ東の空が明るくなってくる頃には満席になり、零時ピッタリに出発。二人掛けにはもう一人、三人掛けにはもう二人という具合に詰め込むのだと思っていたが、定員になると乗車を断っている。きっと規則があるのだろうがこのアフリカでそういうことが守られているのは驚きだ。ターミナルを出ると、ガソリンを入れにいくわけでも友人の家に寄るでもなくスムーズに市内を抜ける。厳しい検問もなく拍子抜けしてしまうほどだ。車内にはいつものエチオポップが流れているが乗客たちは割とおとなしく、うとうとしたり遠くの景色を見つめたりしている。世界地図で見てもすぐに確認できるほどの地球の深い溝であり人類の発祥地といわれる大地溝帯を行く旅は、大陸の深部へと潜入する序章のような気分を味わわせてくれる。
(アジスアベバを離れて エチオピア)

 アジスからシャシャマネまでは約六時間。後半は道が荒れてきたもののわりとスムーズに進む。エチオピアの治安はアフリカの中ではいい方だというが、シャシャマネだけは気をつけろといわれているので、ここに滞在することは止めて、すぐにバスを乗り継いでアワサまで移動する。車窓から眺めただけでも確かに鼻息の荒そうな人たちが多く目につき、あちこちでいざこざが起きているのが見える。この街にはジャマイカやアメリカから理想郷を求めてやってきたラスタマンたちのコミュニティがあるといい、街の若者たちもその影響を受けてドレッドヘアーにして不良化しているようだ。そもそもラスタイズムという思想は、ほとんどのアフリカ諸国が西洋の植民地政策によって占領されていく中でエチオピアだけが最後まで抵抗して,ごくわずかな期間イタリアの侵入を許した以外は黒人国としての主権を貫いたという強靭な魂を称えたのが始まりで、当時の皇帝ハイレ・セラシエの青年期の名前であるラスタファリから命名されている。そんな因縁から彼等の一派がここに移住してきているというわけだ。もっともやって来た当時は志も強く団結力もあったのだろうが、時の移ろいとともに脱落者も出たり力も分散したりで、今では現地人からも厄介者扱いされているようだ。彼等が神との交信に際してマリファナを用いることも乱れていくひとつの原因となっているのだろう。アワサは湖畔沿いに開けた穏やかな街で三十分ほど離れただけなのに全く空気が変わる。湖の存在が大きい。
(アワサ エチオピア)
# by soil_library | 2006-07-03 00:05

11 DEC 2000

 夜中に激しい雨になったのにはちょっと驚く.もっともほとんどの家がトタン屋根なので実際よりもドシャ降りに感じるのかもしれない。月曜日の朝を迎えて通勤通学の人たちが行き交い、街が動き始める。四日目ともなると少しは街の様子や人々の反応にも慣れ、乗り合いのガイドたちが叫び続けている行き先も少しは聞き取れるようになる。もちろん複雑なルートを乗りこなすことは無理だが、主なポイント間を移動するくらいだったら結構使いやすい。乗る時のサインは物乞いが「おくれ、おくれ」とやる時のように手のひらを差し出し、降りる時には大きな声で「ワラジ」と叫べばいい。挨拶と数字くらいはアムハラ語で覚えて、とりあえず食べたり物を買ったりすることには不自由しなくなる。ただ、どうしても戸惑ってしまうのがエチオピア独自の暦で、西洋暦とは八年八ヶ月と八日ずれている。西暦2000年の今年はここでは1993年となっていて、日付けもずれている。おまけに時間表示も独特で朝の六時が零時となっている。そのためエチオピア時間の六時に昼食となる。バスの出発が一時といわれたら朝の七時のことだ。どうしてこういうことになってしまったのかはきっと理屈があるのだろうがどうもややこしい。むしろ世界中で統一されたかに見える西暦というやつは意外にくせ者で、どこかのカトリック大国の思惑にはまっているだけのことかもしれない。タイなどで用いられている仏暦や、月の満ち欠けをベースとしたイスラム暦などと同様、ここに来たからには彼等のバイブレーションに波長を合わせたい。
(アジスアベバ エチオピア)

 時間に追われてあくせく働くことに不向きなアフリカの人たちは我々から見ればこれで食べていけるのだろうかと不思議に思うほどのんびりしている。街のカフェでは空席を見つけるのが大変なほどにいつも暇そうな人がぼんやりしている。そういう我々もエアラインへ行ったりバスターミナルを確認したりと雑用をすませてからは彼等に混じってカフェでぼんやりしている。給仕の若者たちの瞳はきらめいていてとても愛らしい。初めは見慣れぬ東洋人におそるおそる接しているが、こちらがジョークをひとつ返すとシャンパンの栓が切れたように大喜びして笑顔がはじける。ちょっと客が引けて暇になると普段の顔がのぞき、ラジオから流れる音楽に合わせて歌ったり踊ったりし始める。たいてい現代アレンジのエチオポップなのだがメロディーラインは独特で、西アフリカのようにレゲエやラップなどの影響を受けたものではなく、むしろ昔懐かしい日本の歌謡曲のような印象だ。曲の前奏はシンプルな笛、クラールやマシンゴなどの伝統的な弦楽器によるものが多いが、ギターやキーボードが入るあたりから華やかになっていく。しばらく元気のいい曲が続いた後、一曲だけスローな曲が流れる。ロングトーンでこぶしが利き、まるで木曽節のようだ。この曲には給仕たちはもちろん客までもが声を合わせる。歌手の名を尋ねると、声を揃えて「テラウネ!」。国民的歌手のようだ。なぜこんなアフリカの一角に日本人の魂を揺さぶるようなメロディーがあるのだろう。アラブの影響だとは思うが、かといってアラブにこんな音楽があるかと思い起こしてみても思い当たらない。さまざまな文化の交差と吹きだまり現象が生んだ偶然だろうか。
(アジスアベバ エチオピア)

  秋暮れて人うずくまる丸みあり
# by soil_library | 2006-07-03 00:04

10 DEC 2000

 アジスアベバ大学構内にある民族博物館へ行く。開館まで少し時間があったので学生たちに混じってカフェテリアでコーヒーを楽しむ。さすがにコーヒーの産地だけあってこんな学生食堂のようなところで飲むコーヒーですらとてもうまい。カフェオレくらいは「ブンナベワタット」と現地語を覚えたのでスマートに注文するが、すぐに何かを問い返され、それにてお手上げ。それでも発音を聞いている限り、アムハラ語は我々にとっては英語などよりも親しい言語のような気がする。一服してから博物館へ。まるで西洋の宮殿のような外観だが、それもそのはず、最期の皇帝ハイレ・セラシエの住居だったという。肝心の展示は昨日の国立博物館とは比べ物にならないほど充実していて、各地の部族ごとに生活用具やコスチューム、住居の再現までされていて豊富な写真資料も見応えがある。一覧してみたところ、土器づくりに関しては特定の産地があるわけではないらしく、ごく普通のこととしてどこの村でも行われているようだ。ただコーヒーセレモニーに用いる黒い細頸の壷に関しては専門の職人がいるらしい。よく磨きがかかって黒光りしているがどのように炭化させているのだろう。西アフリカでは主流だった縄目模様はスーダン寄りのガンベラ地方に限られているようだ。土製のパイプに施された装飾は縄文と擦り消しが交互に行われていて、まさしく日本の縄文晩期の造形感覚だ。特別企画展示では各部族の木枕が一覧できる。どうやらこの木製の枕をどこへ行くにも肌身離さず携帯する習慣があるらしい。実用的な理由なのか象徴なのかは分からないがそれぞれがひとつの造形物として鑑賞に堪えられるほど美しい。南部のものは自然木をそのまま利用している素朴なものだが、中部のものはこれを所持していることが何かのステイタスででもあるかのように凝った彫刻がされている。館内にはこのほかにもアフリカからアラブまでを見渡すことができる楽器類、それに正教関係のイコンや十字架など展示に幅がある。かなり頭を柔らかくして旅をしないとこの様々な要素が重なり合った文化をとらえるのは難しいかもしれない。もっとも、裏を返せば旅の途上で思いがけないものが飛び出してくるという楽しみもある。
(アジスアベバ エチオピア)

 市内を見渡す高台にある聖ジョージ教会へ行ってみる。ちょうど夕べのお祈りの時間にあたり、大勢の市民が教会を取り囲むようにして思い思いにお祈りをしている。エチオピア正教の教会はカトリックのものとは建物の構造が根本的に異なっている。カトリックでは長方形の建物の一方が入り口でその正面にキリストなりマリアなりの像がある祭壇が置かれているが、ここのものは敷地そのものがほぼ円形、建物は八角形で四方に入り口がある。内部には正方形の部屋があり、その中心にアークと呼ばれる聖なる箱が置かれているという。内部屋の壁には一面にキリストやマリア、馬に乗った聖ジョージなどの聖人、それにエチオピアの歴代の王様などが描かれている。これらはキリスト教の教えやいわれを分かりやすく説くための手がかりのようなもので信仰の対象としてのイコンのようなものとは違うとのことだ。内部屋の前には大きな太鼓が横たわっているが、礼拝の時にはこれを打ち鳴らしながらお祈りをするのだという。その印象はいわゆるキリスト教とは大きな隔たりがある。こちらの方がより原初的な形をとどめているということだが世界観があまりにも違う。先入観を捨てて、全く別のものとして見ていった方が良さそうだ。街の中ではガサガサしている人たちもこの敷地内ではじっと心を鎮め、教会の壁に額をつけて一心に祈っている。
(アジスアベバ エチオピア)

  秋空や四方に開くカテドラル
# by soil_library | 2006-07-03 00:03

9 DEC 2000

 早朝、遠くからのアザーンの声で目をさます。昨日は夕食を抜いて眠りについてしまったが、かえって体が軽くて調子がいい。この国はエチオピア正教がメインをなっているはずなのでアザーンのように聞こえたのはもしかすると正教のお祈りかもしれない。正教についてはなじみもないのでよく分からないが、エジプトのコプト教やイスラエルのユダヤ教とともに原初の形をとどめているキリスト教ということだから、きっとイスラム教との共通点もあることだろう。旅をしている国の宗教はとても気になるし、むしろそれを理解することがその土地を旅させてもらう者の最低のルールだと思う。そうはいっても来てみないと分からないことでもあり、しばらくは微妙な部分についての発言は控えていた方がいいだろう。人々の様子を見ていると、すれ違いざまの挨拶の時や感謝の気持ちを表す時に軽く頭を下げて会釈をしたり、お金の受け渡しの時などはミャンマー風にもう片方の手を添えたりと、ちょっと想像していなかったアジアっぽさを感じてしまう。この国に来た大きな理由のひとつがアフリカとアジアの接点という大胆なテーマなのだが、既にその核心に迫りつつある。あまりだらだらとせず、結構きっちりした性格の人が多いのも意外だ。すぐ目の前の商店の若主人は朝も早くから掃き掃除をしてはあたりに水を打ち、小さな花壇にたっぷりと水をかけ、丹念に窓ガラスを拭く。路上のゴミも早朝には市民によって片つけられ、各家庭の残飯も専業のじいさんが肩にのせたドラム缶に集めていく。アジアでもアフリカでもかなりいい加減だったことがその中間ではきちんとしているというのも不思議なもので、このあたりの規律の正しさは正教の影響だろうか。
(アジスアベバ エチオピア)

 どの国に行っても市場と博物館にだけは必ず立ち寄るようにしている。しかし、ここの市場に関してはとても広大でスリやひったくりも多いという噂なのでもう少し慣れてから行くことにして、今日は国立博物館へ行ってみる。アフリカ大陸の中では充実した博物館のひとつだといわれているが、実際は学園祭にあるような展示で、これでは良いものもお粗末に見えてしまう。埃だらけのケースの中に遺物がバラバラに置かれていて、キャプションもあやしい。地下展示室にはこの館の目玉でもある「ルーシー」の骨がある。三百万年前の原人の骨だが、確かにその学術的価値は分かるが、実際に見たところで骨はあくまでも骨なので感動するようなものではない。むしろその事実や発見ストーリーに心惹かれる種類のものだ。しかし、ケースの隅に「レプリカ」とあるのには唖然としてしまう。この「ルーシー」に会いたいがためだけにエチオピアを訪れるという人もいるくらいなのに、はるばるやって来たらプラスチックのかけらが並んでいるというのではあまりに笑えない話だ。ひと通りはこの国の複雑な歴史を総観できるが、一番興味深いのは様々な人種のポートレートがずらりと並んでいる民族展示のセクションだ。彼らが使っている生活用具は数百年前の遺物と見分けがつかないほど似ているし、何よりも人の表情ににじみ出る遺伝子がより歴史を物語っている。人の顔つきを見ているだけでこの地域をひとつの国としてくくることの難しさを感じる。ソマリアやエリトリアが独立していったようにこれからもあちこちで独立運動が起こることだろう。このポートレートを前にして、今回の旅のおおよその道筋が見えてくる。
(アジスアベバ エチオピア)

 内戦、民族紛争、隣国との戦争などが長い間続いて来たこともあって戦うことに疲れたような雰囲気がある。テロを恐れてのことだろうが、公共施設への立ち入りの際は持ち物検査や身体検査が厳しく行われる。郵便局で切手を買うだけのことなのに銃を持った兵士に検査を受け、カメラを預けなければならない。街の中心部には軍隊の本部らしき建物があり、その周辺は特に物々しい。現地人たちもトラブルを避けてこのエリアだけはあまり歩きたがらないようだ。航空会社のオフィスやスーパーが並ぶあたりにはちょっと垢抜けた雰囲気があるが、そのぶん物乞いも多く、周りを気にしていないといつの間にか行く手を塞がれてしまう。立ち止まって地図など拡げようものなら格好の的となるだろう。幼子は服を引っ張ったり足にしがみついて来たり限度を知らないが、あまり強引に振り払うわけにもいかないので扱いが難しい。メインストリートを鉄道駅まで歩いて街のだいたいの様子を把握する。ミニバス乗り場付近には目つきのあやしい連中が何人かたむろしている。スリやひったくりもこちらが先手を打って睨みつけてしまえば、たいてい手を出してくることはない。それでも身動きがとれないような人混みではやられる確率が高いので、なるべく人波が去るのを傍らで待つようにしている。こんな基本さえ押さえておけばこの国も嫌な思いをせずに旅できそうだ。
(アジスアベバ エチオピア)
# by soil_library | 2006-07-03 00:02

8 DEC 2000

 アジスアベバ空港到着。気温二十度。「永遠の秋」と呼ばれている街だけあって暑くも寒くもない快適な気候。エチオピア航空はアフリカ全土を網羅するほどの路線を持っているアフリカ屈指の航空会社だが、その本拠地にしてはターミナル自体はあまりに素っ気ない。イミグレを抜け、手荷物を受け取って、建物の外に出る。すぐにタクシーの客引きたちが声をかけてくるが、さほど強引な感じではない。「乗り合いで行きたい。」としっかり意思表示すると、あっさりと乗り場を教えてくれる。目つきもどことなくかわいらしく、人も良さそうだ。乗り合いタクシーはたっぷり使い込まれた日本製のミニバン。ぎゅーぎゅーに詰め込まれるのだろうと覚悟をしていたが、定員になったらすぐの発車。車内に染み付いた臭いや乗客たちの体臭、街に漂う埃っぽい空気に包まれて思わず頬が緩む。初めて訪れる国での一日目、特に空港から市内までの移動にはかなりの不安がつきまとうものだが、ここではなぜか懐かしい所へ再来したような気分になっている。乗客たちは強い陽射しを嫌って窓側の座席を避けているが、こちらとしては街の見物にはちょうどいい。西アフリカのような巨漢は少なく、痩身でスタイルの良い人が目につく。全身のバランスから見て頭部が小さい。服装もシンプルでシックにまとめている。人の顔つきを見ているだけでここがアラブとアフリカの交差点であることがよく分かる。東アフリカの主要都市にしては田舎っぽく、商店街の間から見え隠れする路地には土の道が残り、土の家がある。街の中心らしき大きな広場を通り過ぎてからは、ローギア、アクセル全開でうなりながら急坂を上り始める。信号待ちのたびに寄ってくる乞食はかなりの数だ。布やシートをつなぎ合わせた粗末な小屋も歩道に並んでいる。地方から都市への人の流入はここでも深刻な問題となっているようだ。坂を上り詰めた賑やかな商店街の一角で下車。適度な活気と猥雑さ。味わい深そうな街だ。
(アジスアベバ エチオピア)

 カイロで一泊しているので少しは楽だが、それでもまだ日本との時差ボケはバイオリズムの中に残っている。この街の標高は二千四百メートル。高山病の恐れもあるので、今日は落ち着いていることにする。まずは食堂で腹ごしらえ。ここの人たちがいったい何を好んで食べているのかもまだ分からないが、どうやらほとんどの客がスパゲティを食べているようなので同じものを注文する。付け合わせのパンの量を見る限り、スパゲティはパンを食べるためのおかずと考えていいようだ。ひとつのスパゲティをテーブルの真ん中に置いてフォークで突き合っているカップルもいる。味は実にシンプルなトマトソースだが、非常に油っぽい。それとちょっと言葉では表しにくい独特な肉の臭いがまとわりついていて完全に土着料理に変化している。付け合わせのポテトやキャベツなどの茹で野菜にはほとんど味が付いていないので現地食に飽きた時の逃げ道には良さそうだ。ビールを飲んでいる人以外はほとんどがガス入りのアンボというミネラルウォーターを飲んでいる。食後にはシャイを頼むが、濃く煮出した紅茶にクローブが効いていてなかなかうまい。給仕や宿のスタッフもとても感じが良く、どうやら西アフリカとは切り離して考えた方が良さそうだ。人の反応も穏やかで、一応おかしな東洋人のことは気になるようだがあからさまなアクションは起こしてこない。何よりも彼等の瞳の美しさは印象的だ。
(アジスアベバ エチオピア)

 出の悪いシャワーで水浴びをしてからは、眠気と戦いながら午後の表通りを眺めている。すぐ前のトタンバラックの雑貨屋とその向こうの緑色の二階屋、その庭にある一本の高い木のバランスがとてもいい。1メートル角の小さな窓があるだけの雑貨屋には入れ替わりで途切れることなく近所の人がやってきては、それぞれがしばらく立ち話をしていく。地域のコミュニティーの核になっているようだ。飲み物やお菓子、石けんや簡単な薬はもちろん、便せんを一枚だけ買いにくる学生や、一本のたばこのために立ち寄る労働者もいる。公衆電話も兼ね、どうやら水汲み場にもなっているようだ。店の人に合図をするとトタンの隙間に垂れ下がっているホースから水を流してくれる仕組みらしい。たった1メートル四方の窓だけでひとまず日常に必要なものは手に入る。なんともシンプルで分かりやすい。あたりの広場や道路は近所の子供たちの遊び場となり、疲れることなくパワー全開で遊んでいる。万国共通だが、子供たちは何かを引きずりながら走り回るのが好きだ。ここでもおもちゃの残骸や空き缶などをひもにくくりつけて引き回っている。何でもない日常のひとこまを眺めているだけなのに、なんともいえない幸福感に包まれている。
(アジスアベバ エチオピア)

  秋色や小屋につぎはぐ錆トタン
# by soil_library | 2006-07-03 00:01