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Koichi Kurita Web Site ---- (2006~2014) 栗田宏一
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いのちの土 (2013) 2/3

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ここからは少し私自身のことを話してみましょう。旅という言葉が出たので、まずはそのあたりから。自分からの意識的な旅の始まりは中学2年生の夏。鹿児島に住む知り合いを訪ねての家族旅行の帰路のことです。ひとりだけ現地に残してもらい、鈍行列車を乗り継いで山梨県まで旅をしました。およそ50時間ほどかかったと記憶しています。わざわざ鈍行列車を選んだのは鉄道好きだったからですが、結果的には正解でした。鹿児島から宮崎、大分にかけての風景、列車の中での出会いは忘れることができません。世間知らずの少年がひとりで乗っているものだからいろんな人が声をかけてくれます。しかし、その言葉が理解できないのです。同じ日本の中なのに。これは衝撃でした。それまで自分が住んでいた世界の小ささを思い知らされました。
日本を飛び出したのは24歳の冬。いまも一緒に旅をし、生活をともにしている人と二人の旅でした。行き先はインド。どうしてインドだったのか。未だにしっかりした答えは見つかっていませんが、挫折感の連なりに後押しされた、とでもいいましょうか。それでも若者らしくはつらつと旅立ったのですが、デリー空港に到着した途端にへたり込んでしまいました。夜中に着いたのもいけなかったのですが、到着ロビーのガラスの向こう側には無数のインド人が待ち構えていました。まるで顔だけでできている壁のようです。そのまなざしはまるで私の心の底まで見透かすほど鋭いのです。このガラスの向こうへ出て行く勇気が自分には用意されていませんでした。日の出まで待ち、気合いを入れて、でも半ばあきらめて一歩を踏み出しました。


インドの旅ですっかり世界観が変わりました。いままで学んできたこと、経験、残念ながらあっという間に蒸発してしまいました。頼れるのは自分の肉体だけです。その肉体すら、ちょっと水分が足りなくなればただの干し肉になってしまいます。足元に転がっている小石や砂粒や牛の糞の存在感と自分の肉体の存在感はまったく同じで、もしかしたら自分はこの小石だったかもしれないと真剣に思えたものです。この時に感じたまわりを取り巻くものへの親近感といったらありません。
実はこのインドの旅には重い一眼レフのカメラを持っていきました。見渡す限りの平原に身を置いてぐるりと360度、地平線の写真を撮ろうと計画していたのです。ところが実際に身を置いてみると、笑い出してしまうほどに滑稽な行為なわけです。それで自分の存在を表現しようなどということは。結局のところインドでこのカメラを取り出したのはただ一度。地平線どころか、地べたです。自分の足がふらふらと平原を歩き、さまざまなものに出会う様子が36枚撮りフィルムにムービーのように残っています。
靴底に挟まった小石を集めたのもこの旅の時です。インドの安宿はたいてい床がコンクリートになっていて、靴底に小石が挟まっていると嫌な音がするんです。そこで一日の終わりに小石はずしをするのですが、今度はその小石が捨てられない。あまりに愛おしくて。少なくとも自分の歩みと重なって、何かの縁あって一日をともにしたわけです。糞ばかり踏んでしまってあまりに汚い日をのぞいて旅の間中採集を続けました。


旅先での一日は日本で過ごす一年分くらい凝縮されていると感じます。時間の流れ方が全然違うのです。それは、たとえ洗濯しかしなかった一日であっても、郵便局に一枚のはがきを出しにいっただけの一日であっても。新婚旅行を装って知人や親戚から集金してから出かけた旅は結局のところ500日を要しました。はじめから500日も旅することは想定していませんでした。しかし、旅の資金は限られていましたからなるべく節約して少しでも長く遠くへと心がけました。二人そろって貧乏性なのは幸いして、お金を使わないことが快感になっていきました。お金を使わない方が現地の人と近いところにいられるのです。例えば一泊1万円もするホテルに泊まっていて彼らの生活が見えるでしょうか。国にもよりますが、一日にひとりが使えるのはホテル代、食費、移動の費用も含めて1000円と自己制限をかけました。
日本からは船で上海へ。そこから列車でウイグル自治区に入り、タクラマカン砂漠、パミール高原をバスで旅してパキスタンへ。仏教が日本までやってきた道をさかのぼったわけですが、その土地まで一本の道でつながっていたことになぜか感動したものです。インドに入って半年間の滞在。北のラダックから南のタミルまで。いったん東南アジアに足を伸ばして日本に視線を向けたものの、西アジアへの思いは断ち切れずに、思い切ってトルコへ。イラン、エジプト、ギリシャとかなり欲張ったところで資金切れ。500日ぶりに帰った日本は本当に愛おしく、しかし溺れかけている子供のようにも見えたものです。旅の最中に考えていたこと、経験したことを何かしら社会に還元できないものかと真剣に思いました。


旅先ではいろんな国から来た旅人と出会います。お互いの国のことなど話しながら交流するわけですが、あまりに日本のことを知らない自分に愕然としてしまいました。語学力がないことを理由にごまかすこともしばしばでしたが、本当に知らないのです。次の旅のためにアルバイトをするかたわら、できるだけ時間を作って日本の旅も始めました。もともと民族学者になりたいと思ったこともあるくらいなので、風習、言葉、食べ物、家の作りなど細かなことまで旅先で見てきましたが、日本もそれに劣らず面白いのです。アジアのみならず、アフリカや中南米にまで足を伸ばすようになると、更に日本の面白さが際立ってきます。考古学的なことから現代の風習まで、とても交流があったとは思えない地域同士で同じようなことをやっているのです。人間の考えることにそう大差はないともいえますが、自然界を敬い畏れながら暮らしていると同じような祭りや呪いをやったりするのです。
日本各地を歩くにつれ、自分の生まれ育った地域にも独特の文化があることが再認識できました。衝撃的だったのは山梨県の特に北東部に多く残る丸石道祖神です。子供の頃から見慣れていたのでこんなものはどこにでもあるものだと思っていました。単なる丸い自然石を祀っただけのものですが、調べてみると数千年前から続いていて、いまはこの地域に限って残っているのだそうです。いまは道祖神、少し前は繭に見立てて養蚕の神様。それ以前は、おそらく月とか太陽の象徴だったのでしょう。ミケランジェロは大理石の中に女神の姿を見い出して「いますぐ彫り出してあげる」と言ったそうですが、私たちの文化では、石の中に神を見たのなら決して鑿を当てません。明治時代以降のものは人工的に丸く成形したり、「神」という文字を刻んでしまった石もあるですが、それらに神々しさはありません。心の通わぬただの物体です。かつて宝石研磨を学んだ時に感じた違和感はこれだったのです。あるがままの姿を尊び、そこに宇宙観を感じる文化。そんなところに生まれ育ったことを誇りに思える出会い。外側から見たからこそ見えた世界でした。


いろんな国を旅する途上で、滞在した街の足元の土をひとつまみだけ拾ってポストカードにセロテープで貼り、日本の自分宛に送り続けていました。地球儀で見てもわかるくらいの大移動を繰り返していれば、土の色が変わるのは当然です。ところが日本に帰って、改めて自分の家の庭、隣の畑、川の向こう、丘の上と拾って比べてみるとたいして離れていないのにすべて色が違うのです。極端な話、右手で握った土と左手で握った土は既に色が違うのです。しかも、驚くほどきれいです。自分が30年あまりも無意識に踏みつけてきたただの土がこんなに美しいなんて。まさしく足元をすくわれる思いでした。
私たちは幸せになるために生きているのだと思います。自分のためにも他者のためにも未来の子供たちのためにも今の自分に何ができるのか。才能があれば政治家になるのもひとつの手だし、経済力が伴えばもっと心強い、文章や話が上手ならば説得力もあるし、とあれこれ考えてみましたが急に何かができるようになるわけではありません。ちょうどその頃は美術の分野にも変化が起きていて、絵画や彫刻といった「もの」を見せるやり方から、生き方や考え方といった「こと」を見せるやり方が分離独立していく時期でした。美術大学を卒業したことが前提ではなく、オンリーワンを持っている人が立ち上がっていける分野に見えたのです。
アートを通して社会に意見していこうと思った時に私がとった方法は、拾った土をそのまま見せる、ということです。あえて造形表現からは距離を置きました。なんと唐突でぶっきらぼうなことでしょう。しかし、自分の驚きを素直にそのまま見せる、それが一番自分自身に嘘をつかなくていいことになります。展覧会そのものよりも人との出会いの方が重要だと考えていたこともあり、どこか確信犯的な見せ方でもありました。また、その美しさを知らずに長年踏みつけてきたことへのお詫びの気持ちもありました。


純粋に「美しい」と感じたことから始めた土拾いですが、以前からもやもやしていたコンセプトがぴたりとはまったのも事実です。手元に集まった色とりどりの土を前にして、「これだ!」と思った瞬間は、遠くの地平まで光がすっと差したような心地よさでした。
まだインドへ旅に出る以前の話ですが、毎月満月の頃に浜辺でパフォーマンスをしていたことがあります。慣れない都会の生活で身体を壊し、おまけに手術も失敗してしまい、左半身が一時期不自由になりました。このあたりで肉体表現に出会い、当時身近にいたアーティストにも刺激されて、自分の無様な肉体をさらすようになりました。パフォーマンスといってもほとんど動かずに立っているだけです。満月の頃は大潮で、引いた時と満ちた時とでは高さ2メートルくらい差があります。潮が引いて水鏡になった浜に立ち、潮が満ちてくるのをただ待つのです。徐々に足に水がつき、腰まで来て、胸まで水没します。この様子を見ることで、月の引力を感じる、というのがこのパフォーマンスのコンセプトでした。宇宙の複雑な動きがこうして目に見える形で日々展開しているのに、改めてじっくりと見ることはあまりありません。この宇宙の動きに人間も影響を受けないはずはないのです。こうして「人間は自然界の一員である」というテーマが身に付きました。
その後、リュックひとつで世界中を旅してまわり、へとへとになって帰ってきたところで「土」と出会ったのです。自分が自然界の一員であるということをわかりやすく教えてくれ、しかもぐっと握れるものが「土」だったわけです。


私が改めて語るまでもなく、ひと握りの土には地球上のすべての生命、物質、元素が含まれている可能性があります。それらをひと握りできるものを他に知りません。石や砂はいってみれば地球そのもののかけらです。土はそれらの粉の中に動物や植物やありとあらゆる有機物が混合しています。すなわち、自分たちのかけらも混じっているのです。土の色の違いは雨や風、太陽光の長年にわたる働きかけによるものです。あたりを取り巻く四大霊によって色が変わるのです。「土に還る」という言い方がある以上、大地との関係性は私たちにあらかじめ内包されています。しかし、土が無くては生きていくことはできないと頭ではわかっているはずなのに、ずっとないがしろにして、時には蔑んできました。いったん放射能が漏れ出せば、まるで土が犯罪者であるかのように取り除き始めます。そんな時にアーティストという人種はひねくれていて、人が見向きもせず、蔑み、邪魔にしているものを、頭を下げざるを得ない状況に持っていけないかと考えるのです。
実際に土を展示する際、参考になったのは以前から親しんでいる俳句の手法でした。17文字の中に季節感をベースにして、音も匂いも色も触感も空気感も感じさせる空間世界を作り出すのは驚異的です。定型だからこそ、更に世界観が際立ってくるのです。最小の定型の中に宇宙を作り出す。これは日本人が最も得意としていることかもしれません。相撲で負けることを「土がつく」。面目つぶしは「人の顔に泥を塗る」。こんなふうにいわれてきた土を、神前に捧げるかのように生成りの和紙の上にのせて奉る。すべて定型で並べることによってそれぞれの土の色やテクスチャー、風土や歴史までもが浮かび上がります。


土を100ほど拾い集めた頃、自分の足元すら見ていなかったことに愕然とし、こんなに美しいものがごく身近にあったことにただ驚いていました。土が1000くらいになった時には、これは奥が深そうだぞ、という期待感と、大変なことに手を付けてしまったな、という戸惑いが交錯していました。10000近くになった時には、もうひたすら頭を下げてひれ伏すしかありませんでした。自然界にはかなわないという思いとともに、この凄さを人に伝えていかなければいけないという使命感も湧いてきました。こんなばかばかしいことをいままでにやった人がいるとは思えません。もちろんこれから先も。
はじめの頃はただランダムに採集して「きれいだよ」と見せていたにすぎません。それが「風土」という言葉と結びついたとき、採集した地名を記録するようになりました。日本には「産土神」という言葉もあるくらい、生まれた土地の神様を尊ぶ信仰があります。誰でも自分の生まれた場所、住んでいる場所の土が展示されていたらうれしいものです。それがその人にとっての入り口となるのです。だとしたら、すべての人に対して入り口を作るべきではないか。これが日本全国全市町村での土採集プロジェクト「ソイル・ライブラリー」の始まりです。途中で平成大合併という改悪がありましたがそれは無視して、全部で3233市町村のうち、この20年間で9割9分までを採集しました。すべてを勢揃いさせて、すべての人に対しての入り口を用意してお待ちするのがこのプロジェクトの目標です。「ライブラリー」と呼んでいることもあって、あまりアートプロジェクトとは思われないのですが、むしろ、そのあたりも狙いです。本の森に迷い込んでそれぞれの人が一冊を手にする図書館。みんなが違う一冊に出会います。しかも敷居が低い。そんなあり方が理想です。一握りの土を紐解いていくと、地球の歴史から私たちの生活との関係性まで、ありとあらゆる入り口が広がります。ひと握りの土は一冊の本と同じだと感じているのです。


通常は美術館などでの展示は期間が限定されてしまいます。インスタレーションとも呼ばれるように、いったん設置してある期間展示をしたら撤収するしかありません。そんな作品の場合、人に見てもらって役目を終えたなら、土たちにはご苦労様と声をかけて、元の大地に戻すようにしていました。作品の種類によってはこれからもそうしていくでしょうが、いま生きている自分たちだけがその美しさを楽しんでいて果たしていいのだろうか、とあるとき思い始めました。未来の子供たちにも伝える責任があるのではないか。かつてこんな人がいて、こんなことをしていった、などと写真を見せられても本物の美しさは伝わりません。実物の力が必要です。
1970年、大阪で万国博覧会が開催されました。小学校2年生の時です。親に連れられて夢の世界を訪れました。初めて新幹線にも飛行機にも乗りました。しばらくして閉幕を迎え、名前を暗記するくらいに大好きだったパビリオンが次々と壊される光景がテレビに映りました。まだ作ったばかりなのに、壊す理由がわかりません。親に聞いてみると「残しておく方がお金がかかるから」という答え。これで一気に夢が覚めてしまいました。それからは何を見ても、きっと子供騙しだろうと疑ってかかるほどにひねくれてしまったのです。唯一の本物は、近所の畑で拾える縄文土器のかけらでした。子供ですから本当に時間の感覚があったのかどうかはわかりませんが、5000年前の土器のかけらが畑に落ちているという事実は衝撃でした。5000年間ここに落ちているということは5000年間誰も拾わなかったということです。要するに作り手使い手から数えて5000年ぶりに触った人の手が自分の手なのです。大人になったら、絶対に子供騙しだけはしたくないと強く思ったものです。


未来の子どもたちに本物を伝えるために、拾った土をビンに入れて少しずつ残すようになりました。一種のタイムカプセルです。もちろんいま生きている人たちへの提示も続けていきますが、徐々に仕事の重心を未来に向けて傾けていきたいと思っています。もちろん、いまの状態をなんとかしなければ未来はないわけですし、現代社会に絶望しているわけでもありません。もっとも、絶望寸前であると感じているのは多くの人と同じです。アートの持っている思いがけない力、それより何より、自然界が持っている驚異的な回復力と癒しの力に期待しています。そのためにも、これ以上、人間の節度のない欲望の犠牲にしてはなりません。
ビンに入れることによって土の持つ質感や時間は封印されます。そのことは有機的な親しみから遠ざけてしまうことになるのですが、逆にイマジネーションは刺激されます。具体的なことを消すことによって、ビンの中の物質そのものと対峙することになります。わずかな手がかりをもとに自分でストーリーを作っていけるとも言えます。もちろん採集した地名の表記は重要だと考えています。それは見る人との関係性、その土地に生きている人との関係性からもです。こうなってくると、果たしてこれはアートなのか、博物学的な資料ではないか、という声も聞こえてきます。自分でもうまく説明できないほど、この両者ははっきりと分けることはできないと感じます。少なくとも、どんな科学者でも不思議さ、美しさ、発見の驚きや感動からスタートしていることは間違いありません。それはアートでもまったく同じです。できることなら、あまりに離れすぎてしまったアートとサイエンスの狭間を橋渡しするような仕事に成長してくれるとうれしいのです。子どもたちが作品に接する時の目を見ればわかることです。彼らはアートとサイエンスを分けてはいません。


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